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一人芝居のイッセー尾形がたどり着いた「僕の漱石さん」

6/23(金) 7:00配信

NEWS ポストセブン

「今日は、最高! 上手くいった!」──公演を終え、屋外の喫煙所に出てきたイッセー尾形(65)は、晴れやかな顔でそう言った。身体と頭をフルに使い切ったあとの清々しさが全身に満ちている。一服しながら、イッセーが続ける。

「昔からそうですけど、演じる時間が延びることがバロメーター。それはお客さんと一緒に時間を楽しみ、舞台の上でいろんなものを発見しているということですから」

 この日、イッセーは、北海道・釧路市民文化会館で、前日に引き続き「一人芝居~妄ソーセキ劇場 in 釧路」の舞台に立っていた。夏目漱石の小説を題材に、自身の解釈を加え、一人芝居に落とし込んだものだ。1時間30分を目安に作られたプログラムは、この日、1時間50分にまで延びていた。

 1980年代前半に一人芝居を始めたイッセーは、映画やドラマなどの仕事をしながら、その後も切らすことなくこのオリジナル芸を磨き続けてきた。

 イッセーはこれまで、バーテンダーに始まり、あらゆる現代の仕事人、市井の人々を取り上げ、自分のものとしてきた。人物のディテールにこだわり、いかにもいそうな近所のオバさんやフォークシンガーなどを造形してきたのだ。それが、いまなぜ、1世紀以上前の夏目漱石にたどり着いたのか。

「現代人が面白くなくなったというか、見えなくなっちゃったんです。象徴的に言うと、みんながスマホに目を落としていて、電車の中でも視線を上げて目と目が合うなんていうことがほとんどない。人間が二次的になっています。

 ライブは生身と生身が出会う一次産業の仕事ですから、もう一度自分の中に生々しさを取り戻したかったんです。そのためには、少し前までチョンマゲを結っていた近代をくぐることで、自分の身体に眠っているものが呼び起こされるかな、と思った。その可能性を夏目漱石に見出したんです」

 釧路での公演では、『坑夫』『草枕』『道草』『門』『明暗』という5本の漱石作品が演じられた。イッセーが演じるのは、いずれも主人公ではなく、傍らの人間だ。

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