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鎖国の時代にオランダに渡った遊女

6/23(金) 12:00配信

BEST TIMES

『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 長崎の出島の商館に居住するオランダ人に対し、幕府は妻子を同行することを禁じた。そのため、出島は男だけの世界だった。
 独身はもちろんのこと、妻帯しているオランダ人も単身赴任を強いられ女に飢えていたが、気ままに長崎の町を歩くこともきびしく禁じられていため、彼らは町娘と付き合うことはおろか、丸山遊廓で遊ぶこともできなかった。
 さすがに幕府もオランダ人の「飢餓」に同情したのか、丸山遊廓の遊女が個別に呼ばれて出島のオランダ屋敷に出向くことを許した。いわゆるデリヘル形式を許可したのである。
『真佐喜のかつら』に、丸山遊廓の遊女がオランダに渡った話が出ている。

 大坂に堀屋清兵衛という商人がいた。清兵衛の姉のお文は茶屋に奉公していたが、どういういきさつからか文政四年(1821)、長崎に渡って丸山遊廓の遊女となった。
 お文はテルユウ(上記の本の表記)というオランダ人に呼ばれてオランダ屋敷にかよううち、相思相愛の仲となった。
「私は間もなく帰国する。いっしょにオランダに行き、結婚しよう」
 テルユウに口説かれ、お文も同意した。
 文政八年、丸山遊廓を抜け出したお文は、オランダ商船にひそかに乗り込み、長崎から密出国した。

 十六年後、大坂の堀屋清兵衛のもとにお文から手紙が届いた。オランダ商船の乗組員に託し、その船員が長崎で日本人の通詞(通訳)に渡し、さらに人の手を経て清兵衛のもとに届けられたのである。

  手紙によると、お文の夫の実家は、「日本にて申し候へバ、庄屋とも申すくらゐの家すじにて」と、日本の庄屋(名主)くらいの家柄で、使用人も多数いるという。このため、お文はなに不自由ない暮らしをしていたが、やはり故郷が恋しい。故郷や親きょうだいのことを思い出すたび、涙があふれると書きつづっている。
 男の子を出産し、名はイリンキンといい、すでに七歳になるという。
 お文は手紙に、自分の髪の毛を切って添えていた。
 また、返事を出す場合には、信用できる唐物屋か薬種商に頼み、「モリヤフルユウ」とあて名書きして、長崎の通詞に託すよう、その手順を教えている。
 最後に、

 ふみ事 あんな

 と記されていた。お文はオランダではアンナと改名したようだ。

 鎖国政策により、日本人が海外に渡ることは厳禁だった。しかし、その間隙をぬうようにしてヨーロッパに渡っていた日本人もいたことになろう。しかも、女であり、遊女だったのが興味深い。

文/永井 義男

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