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3A時代の盟友もうらやむ、大家友和の「流浪だけど幸せな野球人生」

6/23(金) 8:00配信

webスポルティーバ

「うらやましいですね。だって、野球人生を2度送ったようなもんですから。本格派として頂点を極めて、その後ナックルボーラーですから……」

■25歳で投手転向と中卒20歳。独立リーグ異色の2人はプロ入りなるか

 かつて、アメリカの地でメジャーという頂点を目指して競い合った根鈴雄次(ねれい・ゆうじ)は、大家友和の野球人生についてこう語ってくれた。

 ふたりがアメリカで対戦したのは、もう17年も前のことになる。将来を嘱望されながら高校でドロップアウト。紆余曲折の末、それでも夢を追いかけ単身アメリカに渡り、マイナー最上級の3Aまで上り詰めた野球界の流浪人は、大家と一度だけ対戦したときのことを今でも鮮明に覚えている。

「3打数2安打だったかな。ホームランを打ったんですよ。あの年、あいつは3Aで完全試合をして、メジャーに上がったんだけど、また戻ってきて……。そういう時期に対戦したんです。ウチのチームとしては『厄介なピッチャーが来たな』という印象でした。オレ個人としては楽しみにしていましたけど」

 試合後、大家は根鈴のロッカールームを訪ねてきたという。

「向こうの宿舎がちょうどオレの住んでいたホテルだったので、『晩飯でも行こう』って。最後はオレの部屋で飲み明かしましたよ」

 そのふたりだけの酒宴の席で、大家は日本球界で生き抜く難しさを吐露(とろ)していたという。

 1993年のドラフトで大家は3位指名を受けて横浜ベイスターズ(現・横浜DeNA)のユニフォームに袖を通した。当時、1、2位には大学・社会人選手の逆指名枠が設けられていたことを考えると、高卒ルーキーとしては最高級の評価を受けての入団だったといえる。

 球団の期待通り、大家はルーキーイヤーに15試合登板し、初勝利も挙げている。しかし、その後、日本を離れるまで大家が勝利投手になることはなかった。

 1997年、一度も一軍のマウンドに立つことがなかった大家は、フロリダで行なわれていた教育リーグに参加し、ここで自分の居場所を見つける。帰国後、メジャー挑戦の意思を球団に伝えた大家は、翌シーズン、二軍で最優秀防御率のタイトルを獲り、横浜を離れた。

 1999年、2Aからマイナーのキャリアをスタートさせた大家は、連勝を重ね、3Aを経て7月にはメジャー初登板を果たし、10月には初勝利を飾るなど、才能を開花させた。

 そして2001年半ばにモントリオール・エクスポズに移籍すると、2002年から2年連続2ケタ勝利を飾るなどローテーションの軸として活躍。以後、ミルウォーキー・ブリュワーズ、トロント・ブルージェイズ、クリーブランド・インディアンスと、実に10シーズンにわたってメジャーのマウンドに立ち続けた。

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