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作家・タカ大丸、離島マラソンでサブスリーを目指す 続・加計呂麻島

6/23(金) 9:00配信

HARBOR BUSINESS Online

◆タカ大丸の離島・孤島で一年でサブスリー! 第3回

 やっと奄美大島の南端にたどり着いた前回。5:30にやっと加計呂麻行きのフェリーが出港の運びとなった。

 フェリーの中を見て回ると、「奄美相撲大会」のチラシが何枚か貼ってある。

 そういえば、道中にも極真空手の道場がいくつかあった。奄美は格闘技が盛んな土地柄らしい。なお、吉田沙保里選手を「霊長類最強」に仕立て上げた栄和人監督は奄美出身で、言うまでもなく地元の大英雄である。その他には歌手の元ちとせ、中孝介などがいる。

 30分弱で加計呂麻の瀬相港に着くが、そのころには完全に日も暮れていた。眼前には例によって「徳洲会病院」が鎮座して煌煌と照らし出されている。港には「となりのトトロ」に出てくるネコバスをそのまま赤塗りにしたようなバスが何台か待ち構え、島の各方面に分散していくようだ。その中で私は「於斉(おさい)」行きのバスに乗り込んだ。

 その際の運転手と私の会話である。

運転手「今日はどこに行くんかね?」

私「ピッ子さんの家ですけど。バス停に迎えに来てくれるらしいのですが」

運転手「ああ、ピッ子ちゃんね。あの子、のんびりしているからまだ来てねえと思うよ」

 このような小島においては人間関係が濃厚となり、大都会には当たり前にある「プライバシー」というものが皆無である。悪いことなどしたくてもできない。希薄な人間関係に落胆した都会人が移り住む気持ちはわからないでもない。

 私はAirbnbで宿を見つけたが、主のピッ子さんは関東出身で30代後半の女性、かつてはヨットで世界一周に出たという。

 現在の住まいは築60年以上の一軒家で、元々空き家だったことから家賃はないという。ちなみにトイレは懐かしの汲み取り式で、ガスは引いていない。風呂はどうしているのか聞くと、暖かい日にたらいに水を溜めて、日光で温めてから体を洗うという。加計呂麻は、11月半ばでも日中は20度後半まで気温が上昇する。

 全くの余談だが、リチャード・ニクソンもそうだった。もう十年近く前だが、私がロサンゼルス郊外のヨルバ・リンダにある同氏の生家を訪れると、記念博物館となっており、家具がそのまま残されていた。アップライトのピアノがあったので、赤貧の生活ではなかったはずだが、ふと気付くと家の中にシャワーやバスタブがない。そこで案内人に聞いたのだ。

「あれ、ニクソン家の皆さんは、どうやってシャワーを浴びていたのですか?」

「大統領ご一家は、シャワーは浴びておられませんでした。いつも、バスタブに水をはって日光で温めてから体を洗っておられました」

◆奄美の姓が一文字である理由

 ピッ子さん宅は海岸の目の前にあり、家を出て一分のところに「寅さん」シリーズの最終編「寅次郎 紅の花」に出てきたガジュマルの木が立っている。海岸からは一晩中潮騒が心地よく聞こえ、熟睡することができる。ここで二・三日過ごせば、どんな睡眠不足の都会人も眠ることができるに違いない。

 到着したころにはもう七時を過ぎていたかと思うが、私は最終調整の一環で家の前の道路で100mダッシュを3~5本しようとした。すると、鋭い声で「やめて、絶対ダメ!」とストップがかかった。

「なんで?」

「道路に出ても街灯がないから暗いし、いつ、どこからハブが出てくるかわからないから」

 日本人は平和ボケしている、というのはここ50年以上の決まり文句となっている。その点私は少年時代に実家でいろいろとあり、イスラエル在住中に9・11が勃発してその後自爆テロに対してイスラエルがパレスチナ侵攻して戦争が始まり、ロンドン滞在中に自爆テロに遭遇した。

 だが間違いなく「都会ボケ」つまり自然の恐ろしさにあまりに無頓着であった。屋外に出られない私は、買ってきた奄美の地元新聞二紙を読み比べることにした。

 南海日日新聞を開くと、書評欄で松永多佳倫著「沖縄を変えた男」が紹介されている。同書は沖縄水産高校を甲子園準優勝に導いた英雄・栽弘義監督について描いた一冊である。

 ここで何かお気づきの方はおられるだろうか。上記の四人には一つ共通点がある。それは、「いずれも名字が一文字である」ということだ。これは、奄美群島の特徴である。

――薩摩藩は、経済的には奄美から莫大な利潤を得てそれを明治維新の原動力にしていった。だが、奄美が薩摩へ「同化」することを許さず、貨幣を禁止、往来も禁止、衣服など身なりは琉球風のものを強制し、姓を許された島の支配層も一字姓に限定した。(神谷裕司著「奄美、もっと知りたい」より)

 戦後1953年まで奄美は米国統治下に置かれたわけだが、日本に復帰したからといって急に食えるようになるはずがない。多くの奄美出身者がまだ米国統治下の沖縄へ出稼ぎに行った。そして差別に直面した。

――「在沖奄美人は外人登録証の常時携帯を義務づけられ、登録証には犯罪者でも監視するように、指紋の押捺をしなければならなかった。

 これを皮切りに、USCARは奄美人の基本的人権を剥奪する指令を次々と出した。」(佐野眞一著「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」より)

 奄美の新聞で栽監督の本について書評が載るのは、こういう背景があるからである。(続)

<文・タカ大丸>

【タカ大丸】

 ジャーナリスト、TVリポーター、英語同時通訳・スペイン語通訳者。ニューヨーク州立大学ポツダム校とテル・アヴィヴ大学で政治学を専攻。’10年10月のチリ鉱山落盤事故作業員救出の際にはスペイン語通訳として民放各局から依頼が殺到。2015年3月発売の『ジョコビッチの生まれ変わる食事』(三五館)は12万部を突破、26刷となる。最新の訳書に「ナダル・ノート すべては訓練次第」(東邦出版)。

雑誌「月刊VOICE」「プレジデント」などで執筆するほか、テレビ朝日「たけしのTVタックル」「たけしの超常現象Xファイル」TBS「水曜日のダウンタウン」などテレビ出演も多数。公式サイト

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