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植民地支配は民族独立奪う悪質行為と決めつける短絡的な批判

6/25(日) 7:00配信

NEWS ポストセブン

「歴史に学べ」という言葉がある。現代の世の中をとらえるとき、よく使われる言葉だが、過去の歴史をさらに古い過去と比較し、学ぶこともできる。作家・井沢元彦氏による週刊ポストの連載「逆説の日本史」より、江戸時代の日本にも、植民地支配を受けたかもしれない過去があったことから、現代の民主主義の可能性について考察する。

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 ジャッキー・チェンはなぜジャッキー・チェンなのに、安倍晋三はなぜシンゾー・アベではないのか?

 まず大スターのジャッキー・チェンのことはよくご存じだろう。彼はもともと中国人で陳港生(チャンコンサン)が本名だが、Jackieという英語名は単なる芸名では無い。彼はイギリス統治下の香港で生まれた「香港人」だから英語名を持っているのだ。では、なぜ香港はイギリスの植民地だったのかと言えば、1841年に清国がイギリスとのアヘン戦争に敗れ、翌年の南京条約で香港を奪われたからである。

 結果的にはその後の外交交渉で香港は1997年に中国に返還されたが、この時点では租借つまり期限後の返還では無く永久割譲であった。しかも、イギリスはその後アロー戦争を清国に仕掛け香港島の対岸の九龍半島まで奪い取った。1860年、日本では大老井伊直弼が桜田門外で暗殺された年である。

 そんなことは「対岸の火事」だと思っている日本人が今でもきわめて多いのだが、ここで思い出してもらいたいのは、そのわずか四年後の1864年に長州藩が英米蘭仏の四カ国連合艦隊を相手に戦い、惨敗を喫した下関戦争の後始末の話である。あの時、列強を代表したイギリスは和平交渉で日本側に何を要求したか? 下関の沖合にある彦島の租借である。第二十一巻「幕末年代史編IV」で述べたように、高杉晋作が徹底的に抵抗したこともあって、イギリスは彦島を奪うのをあきらめた。

 しかし、日本がその後、朱子学にこだわって清国のように自国の改革に失敗していれば、つまり明治維新が実現できなかったら、彦島だけでなく対岸の下関もイギリスの植民地となり1997年にようやく返還されましたということになったかもしれない。そうなれば、香港人と非常に情況のよく似た「下関人」がわれわれの歴史に存在していたかもしれないのだ。当然、下関人は英語名を持つことになる。

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