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堂安律、笑顔での旅立ち。宇佐美貴史の背中を追って。感謝の念をパワーに変え欧州へ

6/26(月) 11:49配信

フットボールチャンネル

 オランダ1部リーグ・フローニンゲンへ期限付き移籍するガンバ大阪のホープ、堂安律が笑顔で国内最終戦を終えた。ホームの市立吹田サッカースタジアムに川崎フロンターレを迎えた、25日のJ1第16節に先発して後半19分までプレー。終了後に開催された退団セレモニーでは憧れて続けてきたFW宇佐美貴史(現アウグスブルク)に触発され、宇佐美と同じ19歳の夏に海を渡る決意をファンやサポーターに告げた。2020年の東京五輪で主役を期待される左利きのアタッカーは、28日に離日する予定だ。(取材・文:藤江直人)

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●宇佐美の退団セレモニーからちょうど1年

 歴史は繰り返される。2016年6月25日。場所も同じ市立吹田サッカースタジアムのピッチ。ブンデスリーガのアウグスブルクへ旅立つ退団セレモニーに臨んでいた宇佐美貴史の勇姿を、ルーキーだった堂安律はベンチで必死に脳裏へ焼きつけていた。

 あれからちょうど1年。今度は自分が送り出される側となる。オランダ1部リーグの中堅、フローニンゲンへの期限付き移籍が決まってから初めて迎える川崎フロンターレとのJ1第16節は、同時に愛してやまないガンバ大阪における、現時点でのラストゲームとなった。

「先輩である宇佐美貴史という存在が、自分のなかで大きな憧れでありました。ちょうど1年前の吹田スタジアムで、僕もベンチから宇佐美君のセレモニーを見て、サポーターの反応、本当に愛されているんだなと思ったのをいまでも思い出します」

 試合後に行われた退団セレモニー。前夜に自分一人で考えた別れの言葉のなかに、堂安はいまも憧憬の念を抱き、背中を追い続ける「宇佐美貴史」の名前をしっかりと入れた。実は1年前に、宇佐美とともに堂安もヨーロッパへ挑戦の地を求められる選択肢が与えられていた。

 くしくも同じオランダの名門、PSVアイントホーヘンから届いた期限付き移籍のオファー。熟慮した末に堂安を思い留まらせたのは、宇佐美からもらった「ガンバに残ったほうがいい」という言葉だった。

 強制的なものでも何でもない。それでも昨シーズンのファーストステージで出場試合がゼロに終わっていた堂安にとっては、まだガンバでは何ひとつ成し遂げていないぞ、という檄に聞こえたに違いない。

 振り返ってみれば宇佐美も、19歳の夏にブンデスリーガの強豪にして名門、バイエルン・ミュンヘンへ期限付き移籍を果たしている。しかし、9日前に19歳になったばかりの堂安がここまで刻んできたキャリアは、宇佐美と大きく異なる点が2つある。

 ひとつは宇佐美が移籍直前の2011年6月に、アルベルト・ザッケローニ元監督に率いられる日本代表に招集されていたことだ。出場機会こそ訪れなかったものの、ペルー、チェコ両代表と対戦したキリンカップ2011へ招集されていた期間は、宇佐美にとって貴重な時間となった。

 もうひとつは、宇佐美が確固たる結果をすでに残していたことだ。高校3年生だった2010シーズンの段階で、ガンバの左サイドハーフもしくはツートップの一角に君臨。7ゴールをあげて、ガンバ史上では初めてとなるJリーグのベストヤングプレーヤー賞(新人王)を受賞している。

●J3を主戦場にしていた2016シーズンのジレンマ

 ピッチで躍動する宇佐美の姿が眩しく映ったのか。当時は兵庫県の西宮SSで活躍していた堂安のもとには、中学校進学に際してガンバと名古屋グランパスのジュニアユースからオファーが届く。迷わず前者を選んだ堂安は2011シーズンから、ひそかに憧れていた宇佐美の直系の後輩となる。

 宇佐美はこのシーズンから背番号を「33番」から「11番」へ変更。バイエルン・ミュンヘン、ホッフェンハイムへの期限付き移籍を終えて、ガンバに復帰した2013年6月からは一貫して「39番」を背負い続け、ガンバがJ1へ復帰した2014シーズンには国内三大タイトル独占の原動力になった。

 迎えた2015シーズン。高校2年生にして「2種登録選手」としてトップチームに帯同した堂安は以来、いわゆる「飛び級」で昇格した昨シーズン、そして今シーズンと「38番」を背負い続けた。

 おそらくは憧れの宇佐美のひとつ前にいたいという思いと、「38番」の一の位と十の位を足せば、宇佐美が一時期ガンバで背負い、常連となったハリルジャパンでは象徴と化しつつあった「11」になる、という思いも強く働いていたのだろう。

 一方でジレンマも抱いていた。ルーキーイヤーだった2016シーズンは、J1でわずか3試合に出場しただけで、当然ながら無得点に終わった。このシーズンからガンバがU‐23チームを参戦させていたJ3を主戦場として、チームで最多、リーグでは7位タイとなる10ゴールをあげた。

 そのなかには日本代表の守護神として一時代を築いたレジェンド、川口能活(SC相模原)の牙城を打ち破った、無回転の強烈なミドルシュートも含まれていた。それでも、まったく満足できなかったのか。堂安はこんな言葉を残したこともある。

「ホンマを言えばシーズンの最初から、J3を卒業したいという気持ちなんですけど……」

●公式戦3試合連続ゴール。パフォーマンスの明らかな変化

 なぜトップチームでプレーできないのか、という焦りにも近い気持ちが強すぎたゆえに、U‐23チームを率いていた實好礼忠監督(現ガンバ大阪ユース監督)からカミナリを落とされたこともある。

 だからこそ、退団セレモニーで残した言葉のなかには實好氏や、タイミングを見計らいながら辛抱強く待ってくれた長谷川健太監督への感謝の思いを込めることを忘れなかった。

「ガンバでの思い出を振り返ると、今年のいい思い出よりも、去年のJ3での悔しい思い出のほうが多く蘇ってきました。どうしたらトップチームで試合に出られるのかが分からず、自分はこのまま終わっちゃうのかなと本気で悩みました。

 そんな状況の中でもしっかり指導してくれた實好監督や、まだまだいけるぞとお尻に火をつけてくれた長谷川監督には感謝したい。そして、アウェイでも応援してくれたサポーターの皆さんのおかげで、ここまで駆け上がって来られたと思っています」

 迎えた今シーズン。開幕から流れを変える存在として試合に絡み続けた堂安は、初先発を射止めた4月21日の大宮アルディージャ戦で、待望のJ1初ゴールを含めた2発を叩き込む。

 これで勢いに乗ると、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)のアデレード・ユナイテッド戦、横浜F・マリノス戦と公式戦で3試合連続ゴールをマークする。結果を残したことで余計な気負いが消え、視野も広く保てるようになったのか。パフォーマンスの変化を、誰よりも堂安自身が感じていた。

「行けるかどうかが微妙なところで、無理に突っ込まんようになりましたね。球離れも早くなってきたし、そのおかげで不用意なボールロストも減ったと思います」

 志願して先発した、25日のフロンターレ戦でも然り。主戦場とした2列目の右サイドで、得意のドリブル突破から相手選手を十分にひきつけたうえで、日本代表MF倉田秋のシュートを導く場面を前半13分に作ってスタンドをわかせた。

 同44分にはペナルティーエリアの右隅で、キャプテンのMF遠藤保仁からのパスを受ける。利き足の左足でシュートを放つには絶好の位置だったが、トラップがやや乱れたこともあって、置き土産となるゴールを欲する思いを封印して左サイドにいた倉田へ絶妙のパスを通した。

●心技体が心地よいハーモニーを奏でたU-20W杯

 0-1と1点ビハインドで迎えた後半19分、堂安は万雷の拍手を浴びながら、FWアデミウソンとの交代でベンチへ退いた。その4分後に決まったFW長沢駿の同点ゴールをベンチで見届け、勇気づけられた。

「チームメイトたちが追いついてくれたので、そこは本当に感謝したい」

 宇佐美も1年前の国内最終戦で無得点に終わり、ガンバも3‐3でグランパスと引き分けた。ここまでは憧れる宇佐美と異なる点を2つ記したが、いい意味で異なる点も実は2つある。

 ひとつは宇佐美ですらアジアの壁の前に跳ね返され、その舞台に立てなかったFIFA・U-20ワールドカップで大活躍を演じたことだ。

 アジア大陸に与えられた4枚の切符を争った、昨秋のAFC・U-19アジア選手権。延長戦にもつれ込んだ決勝を含めて全6戦、合計570分間を無失点に封じて初優勝を果たしたU-19日本代表で大会MVPを獲得した堂安は、凱旋したロッカールームで守備陣に感謝の思いを込めながら頭を下げている。

「ディフェンス陣のみんなに、本当に申し訳なかったというか。無失点だからこそ優勝できたと思っているので。特にグループリーグで、コンディションがあまりよくなかった。ボールを失う回数が多くて、あまり効率的な攻撃も仕掛けられなかった。大会を通しても1ゴールだけだったので」

 当時はガンバでもJ3が主戦場で、確固たる自信を抱けなかった時期。翻って今年5月に韓国で開催された本大会は、直前にトップチームで結果を残していたこともあって、心技体のすべてが心地よいハーモニーを奏でていた。

 果たして、U-20南アフリカ代表とのグループリーグ初戦で決勝点となる逆転弾をあげると、U-20イタリア代表との最終戦では2ゴールをゲット。U-20日本代表の決勝トーナメント進出の原動力となり、世界の目を自身に向けさせた。

 その結果として届いたフローニンゲンからのオファー。主戦場を確保したとはいえ、ガンバではまだ3ゴールしかあげていない。タイトルも獲得していない。チームは折り返しを前に、3年ぶりのリーグ優勝を狙える好位置につけている。旅立つには、もちろん後ろ髪を引かれる思いも抱いていたはずだ。

●「正直、こんなに応援してもらっているとは思っていなかった」

 それでも世界中の同世代が集う舞台で、自らの立ち位置を確認できた。決して劣ってはいないが、本当の意味での勝負は20歳前後から幕を開ける。最後はアスリートの本能と呼ぶべき、成長を貪欲に追い求める思いが上回った。旅立ちの挨拶で、堂安はこうも語っている。

「このタイミングで行くのは、本当に申し訳ないと思っています。そのなかでも僕の気持ちを理解してくれて、後押ししてくれたクラブ関係者やコーチングスタッフに感謝しています」

 19歳のときの宇佐美は、バイエルン・ミュンヘンの厚い選手層の前でもがき苦しんだ。しかしフローニンゲンは戦力として堂安を評価し、熱いラブコールを送ってくれた。昨シーズンが8位という順位を見ても出場機会を得られ、結果を残すことでさらにステップアップを望める可能性を秘めた移籍と言っていい。

 退団セレモニーに続いて行われた場内一周と、チームメイトたちによる3度の胴上げを終えても、堂安は努めて笑顔を見せていた。肩にかけたガンバカラーのタオルで何度も顔を覆い、思いの丈を伝えながら号泣した1年前の宇佐美とは対照的だった。

「自分はまだガンバにタイトルをもたらすことができてなくて、大半の方はまだまだ僕のことを認めてはいないと思います。ただ1年後、あいつは行ってよかったよねと思われるくらい、しっかりと活躍できるように頑張ってきたいと思います」

 挨拶ではこうも語っていた堂安は、直後に抱いていた思いをひっくり返される。すべてを終えた取材エリアで、こんな言葉を残している。

「場内を回っているときに、いろいろな声をかけてもらった。正直、こんなに応援してもらっているとは思っていなかった。だからこそ、中途半端な結果じゃいけないと思いました」

 だからこそ、笑って別れを告げる。心は震えたかもしれないが必死に涙腺を締めて、感謝の思いを成長へのパワーに変えた。オランダの地から2020年の東京五輪の日本代表、さらにはA代表入りへのスタートを切る堂安は28日に離日。メディカルチェックをへて、7月1日予定のフローニンゲンの始動に備える。

(取材・文:藤江直人)

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