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奨励会員はアルバイト禁止! 26歳まで無職ニートを覚悟しないとプロ棋士にはなれない

6/26(月) 16:00配信

HARBOR BUSINESS Online

 これまで二回に渡り、石田直裕四段の例からプロ棋士になるための実情や奨励会の実態について迫ってきた。

 奨励会は26歳までに四段に上がれなければ強制退会となるが、直裕は18歳の時点で二段止まり。このままでは厳しい状況だった。

 母・寿子氏の目からみても、石田直裕は大学卒業時分に四段に上がれそうにはなかった。そこで寿子氏は、息子にさりげなく就職の誘いをしたという。

「あまり強い口調でもなく、本気でもありませんでしたが、ほかの可能性を考えてみたら?と言ったことはあります。しかし、本人は小さな声で“いや”と言うだけでした」

 もう一つ不安があった。直裕は将棋に打ち込んできたゆえ、サービス業その他の「普通の仕事」の経験が皆無だった。お金はともかく、少しでもシャバの空気に触れれば何か変わるのではないかと、コンビニでバイトをしてみてはどうかと水を向けたこともあったという。

「その時も、“いや、そんな時間はない”と答えるばかりでした」

 大学卒業後も奨励会に残るということは、実質的にはニートになるのと同じだ。それでも、今まで将棋にかけてきた労力や時間、三段リーグにいる現状を考えれば、残るのは当然だった。

 私は寿子氏に、奨励会員の親として一番つらかったのは七級に落ちたときかと聞いた。それは当然だが、寿子がもう一つ辛かった時期としてあげたのは「大学卒業時」だった。

「だって、たまに名寄に帰ってきても、決して同級生に会おうとはしないんですよ。あんなに仲良かったのに、“四段になるまでは会いたくない”の一点ばりでした」

 結局、石田夫妻は直裕の大学卒業後も仕送りを続けることになる。

「お小遣いはあげていませんでしたが、家賃と光熱費は自動引き落としにしていました」

◆青春をかなぐり捨て「純粋になりきれた者」だけがプロになれる

 先ほどの「バイトなんかする時間はない」にもつながるが、連盟は奨励会員のアルバイトを禁止している。コンビニでレジ打ちをする間は詰将棋を解くことができない、お前らは将棋だけに集中しろ、という理由である。

 必然的にある程度経済的余裕がないと将棋のプロを目指すことすらできない。実は、プロ将棋の世界とは人生経験やハングリー精神が一切役に立たない分野なのだ。だからこそ、起きている時間全てを将棋に捧げなければならず、その時期にデートだの、合コンだの、バイトだのにうつつを抜かしていれば到底プロなどなれない。

 奨励会員に青春はない。いや、人間ですらない。「人間になりたい」と呻く「妖怪人間ベム・ベラ・ベロ」そのものだ。島朗九段の「純粋なるもの」という著作があるが、プロ棋士とは青春を捨てて「純粋になりきれた者」だけができる職業なのだ。だから、四段以上の棋士は、たとえ中学生でも40近くの男から「先生」と呼ばれる資格があるのだ。

 寿子氏は「今でも思うんですよ。なんで、うちの息子が四段になれたのだろう、って。きっと、直裕より強かったのに四段になれなかった人がいたと思うのです。だからこそ、息子はもっと頑張らなければならない立場だと思うんですよね」と言う。

 筆者は、三段までの石田直裕は一切知らない。初対面は彼の四段昇段記念パーティだった。だが、多くの棋士を見てきた筆者ははっきりと答えられる。それは、彼が奨励会時代に純粋になりきれたということだ。

 母・寿子が見ていないところで一心不乱に将棋に打ち込み、諸々の悪い誘惑を断ち切ってきたからだ。バイトの時間もないくらい、将棋の研究を続けたからだ。それでも、結局彼が三段リーグを抜けるのに四年八期を要した。

 名前は伏せるが、友人の元奨励会員(つまりプロになれなかった)が呟いたことがある。

「今にして思えばですが、ダメそうになるともうダメになったヤツから麻雀その他のお誘いの電話がかかってくるんですよ。そしてそれに乗ってしまう自分がいるんですよね」

◆それでも将棋は優しく、与えるばかりで何も奪わない

 石田直裕の師匠・所司和晴一門は名門である。弟子は渡辺明竜王のほかにも、松尾歩八段や宮田敦史六段もいる。だがそんな所司一門でさえ、石田まで11年間四段がいなかった。

 しかし、そんな所司一門に不思議な現象がおきた。石田四段誕生ののち、石井健太郎・近藤誠也・大橋貴洸と立て続けに弟弟子から四段が誕生したのだ。

 一度、筆者は石田に失礼極まりないことを言ったことがある。

「石田サリエリとしては、何なんだあの渡辺モーツァルトは、と思うことあるんじゃない?」

 言うまでもなく映画「アマデウス」にひっかけた話だが、取りようによってはお前は凡人だ、絶対モーツァルト・天才にはなれないと言っているに等しい。だが彼は怒らなかった。

「そんなのいつものことですよ。竜王には絶対追いつけませんから」

 本人たちに聞いたことはないが、弟弟子たちにとって恐らく渡辺明は遠すぎて参考にならなかった。だが石田直裕が四段になるのを見て、これなら手が届く、と思ったのではないか。つまり、奨励会に11年在籍してプロになった石田直裕は凡人の星なのだ。

 もし、子供をプロ棋士にしたいのであれば、子供を10年以上「妖怪人間ベム」にして、26歳中卒無職、あるいは大卒後ニートの可能性があることは十分に覚悟しておいてほしい。

 そして本来、詰将棋を解くべき時間に間違ってこの記事を開いてしまった奨励会員の君へ。

 石田先生は四段になった年に大好きなファイターズが優勝し、東京から札幌まではしごして日本シリーズを堪能できました。そして現夫人と付き合い始め、勝率があがり、加古川青流戦で優勝して一緒に暮らし始めました。勝利の女神は確かに存在します。

 大崎善生先生が仰る通り、将棋とは優しく、与えるばかりで何も奪うことはありません。だから、それまでは耐え抜いてください。

<文・タカ大丸>

【タカ大丸】

 ジャーナリスト、TVリポーター、英語同時通訳・スペイン語通訳者。ニューヨーク州立大学ポツダム校とテル・アヴィヴ大学で政治学を専攻。’10年10月のチリ鉱山落盤事故作業員救出の際にはスペイン語通訳として民放各局から依頼が殺到。2015年3月発売の『ジョコビッチの生まれ変わる食事』(三五館)は12万部を突破。最新の訳書に「ナダル・ノート すべては訓練次第」(東邦出版)。

雑誌「月刊VOICE」「プレジデント」などで執筆するほか、テレビ朝日「たけしのTVタックル」「たけしの超常現象Xファイル」TBS「水曜日のダウンタウン」などテレビ出演も多数。公式サイト

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最終更新:6/26(月) 17:25
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