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DeNA宮崎敏郎が自ら語る、熱い野球愛と「言葉にできない打撃術」

6/27(火) 8:00配信

webスポルティーバ

■Part 2 「昭和風スラッガー」なのにチームプレー優先■

「実感はないですし、まさかっていう驚きのほうが大きいですよ。けど数字は関係なく、今後も自分のバッティングをするだけ。ホント、(数字は)今だけだと思いますから」

【写真】ひと目で誰だかわかる独特なバッティングフォーム

 朴訥(ぼくとつ)とした口調。現在、丸佳浩(広島)や大島洋平(中日)、坂本勇人(巨人)らとセ・リーグ首位打者争いを繰り広げている横浜DeNAベイスターズの宮崎敏郎は、自身の現状について謙遜しながらそう語った。

 プロ5年目の大ブレイク。ダイナミックな独特のバッティングフォームに加え、ラミレス監督がセ・リーグでナンバーワンのバットコントロールと評した高い技術力。そしてずんぐりとした体形に、口数の少ない物静かなたたずまい。宮崎からは、どこか昭和のプロ野球の匂いがする。

「それ何人かに言われたことありますよ」

 そう言うと宮崎は、愛嬌のある笑顔を見せてくれた。

 突如として現れた感のあるこのバットマンは、はたしてどんな野球人生を歩んできたのか?

 宮崎が野球を始めたのは小学校6年生のときだ。憧れたプロ選手は特にはいなかったが、友だちとプレーする草野球やキャッチボールがとにかく好きだった。どうしても硬式野球がやりたいという思いもあり、地元佐賀県のボーイズリーグに所属する唐津スカイヤーズに入団した。

「本当はもっと前からやりたかったんですが、親から(硬式は)危ないからと止められていたんです。そんなこともあって晴れて(ボーイズリーグの)野球選手になれたときはすごく嬉しかったですね」

 宮崎はピッチャー、そして打者として活躍し、全国大会に2度出場した。特筆すべきは現在のバッティングフォームの原型が、すでにこのころでき上がっていたということだ。右軸足にしっかりと力を溜め、反動をうまく使いバットを振り、的確にボールをとらえる。

「体が小さくて、入団したとき身長は150センチなかったですからね。いろいろ試してボールが一番飛ぶフォームが、あの形だったんです。特に誰かに指導されてというわけじゃないんですよ」

 以来、宮崎は学生、社会人、プロを通してバッティングに関してはほとんど指導を受けておらず、今日の打棒は、自身のセンスはもちろん、想像力と工夫の賜物だと言っていいだろう。

 中学校を卒業すると、声をかけてくれた地元の佐賀県立厳木(きゅうらぎ)高等学校へ進学。2年生の夏からエースで4番を務めるが、高校時代の3年間は全国大会に縁はなかった。

 1988年生まれの宮崎は、いわゆる『ハンカチ世代』である。甲子園を舞台にフィーバーしていた田中将大や斎藤佑樹の活躍を、同世代としてどのように見ていたのだろうか。

「いやもう別世界の話ですよね。3年の夏は甲子園も見ていませんでした。ただ、早く大学に行って野球をやりたいなって」

 いわば、”野球が人よりも少しだけうまい普通の高校生”だった宮崎は、セレクションを経て日本文理大学に入学。ピッチャーとして入部したものの、1週間で野手に専念することを決意する。

「ひとつ上の先輩に広島カープにいる小野淳平さんと、2009年にドラフト1位でオリックスに入団した古川秀一さんがいたんです。そのふたりの投球を見て、これはダメだと野手一本にしたんです」

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