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アフリカ象を横目にして

6/27(火) 15:31配信

ニューズウィーク日本版

<「国境なき医師団」(MSF)を取材する いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャ、マニラで現場の声を聞き、今度はウガンダを訪れた>

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く 」

北部、南スーダン国境に向かって

翌4月22日早朝、六時。

雨期のおかげで朝夕は天気が不安定だった。

雷雨の中、俺と広報の谷口さんは、『国境なき医師団(MSF)』のウガンダチームが用意してくれたバンで、真っ暗な空の下、首都カンパラからひたすら北へと出発した。最終的には大規模なビディビディ・キャンプが目的地だったが、その南西にあるインベピという新しいキャンプも俺たちは見ようとしていた。広大なビディビディでも収まりきらない難民の方々がそこへ移り住んでいた。

昼間より早朝の方が交通量が多く、でこぼこ道で渋滞が起きていた。車もバイクもヘッドライトで互いに照らし合い、頻繁に親しく声をかけあっていて、前日の午後に見たのんびりした感じとはまた違った。

俺はテレビのロケで近頃、後部座席に寝かせてもらう手法を編み出しており、その姿勢でいるともともと悪い腰を痛めずにすむ(俺の名言「この方法なら、ロケをすればするほど健康になる」)。ということでリュックで作った枕に頭を置き、俺は強い雨音を聞きながらしばらく眠った。

一度起きると9時30分頃で、目の前はガソリンスタンドだった。青空が見えていた。降りて小さな食堂へ行き、コーヒー(プラカップにいっぱいのお湯を入れてくれる。中にインスタントコーヒーの粉を好きなだけ入れるシステムだ)とディープフライのチキンを買って、その場で食べた。

周囲はもちろん現地の人のみ。アジア人などまったく目にしない。それでもウガンダの人々は田舎であっても誇りが高いのだろう、こちらをじろじろ見ることをしなかった。ただ静かに朝の用事を次々すませてまた車に乗って去ったり、果物を持ってあたりに消えていくばかりだ。

そこから一時間ほどは眠らずに外を見た。広大な緑の平原であった。そこにまっすぐ舗装道路が走っており、バンは時々スピード調整のために道路に作られたふくらみをゆっくり乗り越える他は、ひたすら高速で行く。

たまに道の左右にトウモロコシ畑があり、マンゴーの大きな樹があって、必ず近くにこれまた小さなコンクリ製の家が控えている。その前で薪を割る人、じっと腰をおろしてどこかを見ている人、走る子供などが見えた。

ドライバーのウガンダ人ボサ・スワイブの話では、すでに右の奥に難民キャンプ(とはいうものの、現地でもそれは「セトルメント」と称されており、だからこそ居住区と言うべきなのだ)があり、道沿いに暮らす人々の多くも実は何年か前に難民として外の国からやって来たのだという。

これは非常に特徴的な事柄なので、俺たちがまたしばらく国立公園地帯を行き、ナイル川を右に見て道路を左に折れ、どこまでもまっすぐ走っていく間に説明しておこう。なにしろ出発から到着まで11時間かかるのだ。

MSF歴の長いドライバー、我らがボサ

前日ジャン=リュックにも聞いていたことだが、ウガンダは難民にとても寛容な政策をとっていて、国に入ってくる人々に土地を与え、耕作することを許可しているのだった。むろんそれだけ広い土地を持っているから出来ることだが、実際に難民たちは小さな家を建て(時にはレンガ、そして時には古くからの泥を固める場合もあるかもしれない)、自分たちの食べる分をまず作ることになる。

農業だけを許しているのかといえば、観察したところではそうではないが、これはまたあとで話すことにする。少しだけ言ってしまうと、人は商品を作り出せば市場を設けるものなのだ。移住区の奥で、俺はまるで人類史を見るような思いを抱いた。

さて、ところがすでに書いたように難民は数か月で85万人に届こうとしている。いくら土地が広くても、現地にいる人口以上になっていけば必ず摩擦は起きてしまう。だから一日二千人の流入は、もうすぐ臨界点を迎える可能性があるとジャン=リュックたち国際援助団体は見ている。



けれど、その前に打てる最善手といえば、流入元である南スーダンの紛争を停止、出来れば解決することであり、そこに関してはMSFが関与不可能な領域ということになる。

空はすっかり晴れ、左右にはどこまでも緑が続き、風は爽やかで道はまっすぐなのだけれど、俺たちが決して気を緩めることが出来ないのはそういう事情を知っているからだった。

やがて、道路上にヒヒの群れがあらわれた。大きな親の近くに子供たちがまとわりついていた。ガゼルのようなものが少し遠くにいたのも覚えている。

そういう時、ボサが必ず、

「アニマル!」

と言って教えてくれた。アニマルとはずいぶん大きなとらえ方だが、彼が指さす彼方にその度に何かがいた。ただしかなり長い時間見つめていないと俺たちにはわからないのだけれど。

そんなやり方でアフリカ象が道路のすぐ脇にいたこともあった。さすがにアフリカの大地は生命の宝庫なのだった。

アニマル!

14時、ようやくアルアという町に着き、店舗や事務所が入った建物の一階にある暗い食堂へ入った。顎をあげて近づくウェイターに、ドライバーは何があるのか聞いた。彼はムスリムで肉を食べないので、マトケという芋に近い味のバナナをすりつぶしたもの、豆、付け合わせに茹でたモロヘイヤとキャベツを乗せた皿を頼んだ。俺はタロイモ的な芋にした。

ボサが注文したベジタリアンランチ

ここでもウェイターはいかにも気位が高く背筋がぴんと伸びていて、黒板に白墨で書かれたメニューがなくてもまったく動じなかった。そういう時間に来る方が悪いという感じだった。

まわりを見ると、黒いスーツに蝶ネクタイをし、靴をピカピカに磨いたアフリカ男性が数人いて、アフリカならではの洒落た伊達者の世界、かつて大英帝国の植民地であった時に学んだジェントルマンの風格が、いまだに地方の町にも残っているのだった。

アルアには食堂の横に大きな病院もあり、それはもともとMSFが建てて今は地元に引き継いだもので、研究所だけはいまだにMSFが運営してHIVや風土病の調査をしているのだと谷口さんが教えてくれた。

そして俺はと言えば、細長い魔法瓶に入ったお湯と、インスタントコーヒーの瓶が来る例のスタイルでコーヒーを飲み、わずかに休んだのみでまたバンに乗った。

町からは舗装道路が切れた。赤い土がむき出しになったがたがた道で、なおも北へ北へと俺たちは進んだ。1時間ほどすると、右側にやはりMSFのOCA(オペレーションセンター・アムステルダム)が南スーダンからの難民を支援している活動地があるとのことだったが、俺にはただの薮と丈高い草で覆われた場所の向こうでとても把握出来る状況ではなかった。建物が見えないと、あたりが広すぎて違いがわからないのだ。しかも狭くなってきた道は標識なくあちこちで左右に分かれる。

考えれば、すでに9時間は車に乗っていた。目に入るものは基本的に木と草、そして極彩色の布をまとった女性たち、男と子供、ごくたまにアニマル。さすがに頭がぼんやりとしてきていた。

気がつくと、ずいぶん前からひとつのトラックのあとをついて、ぐらぐら揺れながら走っていた。荷台に何が載っているものか、軽く車高の倍はふくらんでいる。ドライバーによると、先にナイル川のフェリーの船着き場があってそこに荷物を運んでいるらしかった。

そのトラックの後ろに『福島』と書いてあるのがやがてわかってきた。日本の中古車が人気だとはうっすら知っていたが、アフリカの奥で一緒に走り続けていることに妙な感慨があった。

右側から三才くらいの男の子が走り出てきた。一心にトラックを見て何か叫び、両手を差し出す。すると盛り上がった荷台の上から空のペットボトルが投げられた。子供に向かってゴミを捨てたことに抵抗を感じたが、当の男の子は夢中でそこに走っていって、ペットボトルを拾うとまた走って家へ帰った。思えば確かに自動販売機など一切ない、ただただ自然が続く場所なのだった。



投げたのは誰かわからなかった。ただ目をこらすと三人ばかりの痩せた男がはだしでてっぺんに座っていて、どうして落ちないのか不思議なくらいぐらぐらと揺られていた。『福島』と書かれたトラックは巨大な象のようだった。

ある瞬間、揺れの加減で中央の人間が宙を浮いた。彼はその時、遠くから後ろを見た。俺は目が合ったと思った。そして、その人物だけが痩せてもいないし、肌の黒さが左右の青年たちと違うと理解した。

あの男だ、と俺は思った。

かつてギリシャから帰る飛行機の中で忽然と消えてしまったアラブ系の男。俺は無意識の中で彼のことをずっと気にしており、ハイチで俺を先回りしていた"作家"が同じ人ではないかとも考えていた。

それが今度はウガンダの北部、赤土の舞うがたがた道で何をしているというのだろう。

しかも『福島』と、俺の暮らす国の大きなカタストロフを標識のようにして。

彼こそ良心の象徴ではないか、と書いたこともある。けれどそれでは荷台の上になぜ載り、なぜ俺の前を行くのか。なぜ空のペットボトルなど子供に投げ与えるのか。

少なくとも、良心というものが単純な善意だけで生まれ育たないのは確かで、それは何度も傷つけられ疑われて強くなることを、俺はMSFのメンバー各人の話から知っていた。とすれば、トラックの上にいるもはや背中しか見えない浅黒い男のようなどこか奇怪で割り切れない存在について考え続けることは、人道主義について考えることと同一なのかもしれないと俺は思った。

神、という人もあるかもしれない。

意識は遠のいてゆき、じきにトラックは俺たちとは別の、右側の狭い道にがたがた下っていった。俺の視線はそちらを追わなかった。それまでと同じように、自分は自分の前を向いていることが重要だ、と俺は後部座席であぐらを組んだままどういうわけか頑固に考えていた。

UNCHR(国連難民高等弁務官事務所)の銀色の四角いテントが木立の中に見えてきたのは、16時を回った頃だった。

インベピ。

南スーダンから最近逃げてきた人々がケアを受けている、いわば最も傷ついている人々のキャンプである。

<おまけ>
ウガンダの難民居住地でMSFのプロジェクト・コーディネーターをしているジョン・ジョンソンが、居住地の現状、難民の母国・南スーダンの現状、MSFの今後の取り組みについて話している日本語字幕付きのビデオが出来たそうだ。
是非御覧下さい。


続く

いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

いとうせいこう

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