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湖畔の殺人医師Dr.Death――フミ斎藤のプロレス読本#032【全日本プロレスgaijin編エピソード2】

6/27(火) 9:00配信

週刊SPA!

 199X年

 スティーブ・ウィリアムスが暮らすベントンは、ルイジアナ州の北端に位置する人口2000人のスモールタウン。テキサス州のボーダーラインまでは車で20分、ルイジアナのすぐ上のアーカンソーの州境までは30マイルちょっと(約50キロ)のディープサウスの町だ。

 雪ぶかいコロラドの山奥レークウッドで生まれ育ったウィリアムスが深南部にやって来たのは、フットボール奨学金とレスリング奨学金を取得してオクラホマ大学に入学したときのことだ。

 大学を卒業し、プロフットボールを経験し、プロレスラーになってから10年近くがたったいまでも、ウィリアムスはこのちいさな町から離れようとしない。

 シュリーブポート空港からベントン・ハイウェイをしばらく北上していくと、ウィリアムスの家があるパーキー通りがみえてくる。

 頑丈そうなヒマラヤ杉をふんだんに使ってつくられたお屋敷は、いかにもウィリアムスが好みそうなナチュラル・ウッドの色をした2階建てのバンガローだった。

 家族は奥さんのタミーさんと10歳になる娘のストーミーちゃんの3人。もちろん、ペットの犬2匹、ネコ1匹もファミリー。サイプラス・レークというちいさな湖に面した家は、目抜き通りからはかなり奥まったところに建てられているから隣人はほとんどいない。

 リビングルームの暖炉、地下のウエートルーム、裏庭のジャグジー風呂は、ウィリアムスが趣味の日曜大工でこしらえた。

 ストーミーちゃんの子ども部屋には、たぶん3000個は軽く超すであろう縫いぐるみの動物たちが並べられている。これはウィリアムスが長期ツアーに出るたびに買ってくるおみやげの山だ。

 ストーミーちゃんは、タミーさんがいちどめの結婚でもうけたひとり娘で、ウィリアムスは彼女のステップ・ファーザーということになる。でも、ふたりはとっても仲がいい。

 ウィリアムスが家にいるときは、自家用ボートで湖に出て1日じゅう釣りをするのが夏の日課になっている。

 1978年にホームタウンのレークウッド・ハイスクールを卒業したウィリアムスは、その年の夏にオクラホマ大学に入学した。大学にいた5年間、秋はフットボール、冬はレスリングと体育会系の生活をずっとつづけた。

 フットボールではオール・カンファレンス選抜チーム、オール・アメリカン選抜チームに選出された。レスリングではNCAA全米選手権で――のちに1984年のロサンゼルス・オリンピックで金メダルを獲得する――ブルース・バームガートナーと優勝決定戦(ヘビー級)を争った。

 レスリングでアマチュア資格がなくなった5年生の夏には、大学に籍を残したままアルバイト気分でプロレスをやったが、秋にはまたフットボール部に逆戻りしてコットン・ボウルとオレンジ・ボウルに出場。フットボールではつねに7万人、8万人の大観衆のまえでプレーした。

 フットボール部のコーチだったバリー・シュウィッツァーさんは、午前中はレスリング部の練習、午後はフットボール部の練習というウィリアムスのアスリート生活に最後の最後まで付き合ってくれた。シュウィッツァーさんは、ドクター・デスの兄貴分だった。

 ドクター・デスといういささか物騒なニックネームは、学生時代のウィリアムスがいつも顔じゅう生傷だらけ――擦り傷、切り傷、青アザ、赤アザ――にしていたことからついた名誉の勲章だった。

 ウィリアムス自身はこのニックネームを気に入っていて「自分でつけたものではなくて、みんながそう呼んでくれた愛称。お金では買えないもの」とふり返る。

 大学を卒業した1982年の夏、ウィリアムスはUSFLのニュージャージー・ジェネラルズにドラフトされた。USFLは老舗NFLの対抗勢力として誕生したばかりの新リーグだったが、発足後、わずか2シーズンで解散。

 ウィリアムスはジェネラルズとデンバー・コルツにそれぞれ1シーズンずつ在籍したが、USFLが活動休止した1984年に迷わずプロレスの道を選んだ。

 いまでも無性にフットボールがなつかしくなることがある。ウィリアムスにとってはフットボールもレスリングも肉体のぶつかり合いであり、どちらも子どものころから親しんできたスポーツである。

 ウィリアムス家のリビングルームの壁にはフットボールとレスリングでもらった表彰状の数かずが飾られている。フットボール時代の思い出はたくさんの友だちとわいわい群れていたことで、レスリングはどちらかといえば自分との闘いの記憶。大学を出たとき、生まれて初めて孤独を感じた。

 ひとつちがいの兄ジェフさんとウィリアムスは、オクラホマ大フットボール部のチームメートだった。ジェフさんもフットボール奨学金を取得し、弟よりも1年先にコロラドの実家をあとにした。

 ウィリアムス、ジェフさん、そしていちばん上の兄ジェリーさんの3人兄弟はみんな、少年時代からプロフットボール選手になることを夢みた。でも、ジェフさんはIBMのコンピュータ・プログラマーになり、ジェリーさんはペトコ・オイル社のエグゼクティブになった。いまでもスポーツをやっているのはウィリアムスひとりにだけだ。

 そのかわり、ジェフさんもジェリーさんもドクター・デスの大ファンになった。ふたりとも、まとまった休みがとれるとウィリアムスに会いにベントンに遊びにきてくれる。

 フットボールでもレスリングでも弟にはかなわなかったふたりの兄は、モーターボートや釣りの腕まえでウィリアムスをやり込めようとする。そんなとき、ウィリアムスは笑顔で負けたふりをすることにしている。

 家にいるときのウィリアムスは、1日の計画を立てない。湖が一望できるベッドルームから朝早く起きだしたあとは、自宅のジムで2時間くらい汗を流し、家族といっしょにゆっくり食事をして、大きな庭の芝刈りをして、暖炉にくべる薪を切り、あとはボートを湖に出して時間を気にせずにのんびりフィッシングを楽しむ。

 魚が釣れても釣れなくても、そんなことはどうでもいい。タミーさんがいて、ストーミーちゃんがいて、犬たちがいて、ネコがいれば、ほかにほしいものはない。

 昼間はフットボールとレスリングの練習に明け暮れ、夜は酒場にくり出してはビールをあおって大暴れをしていた学生時代の生活をそれほどなつかしいとは思わない。

 ウィリアムスは、故郷コロラドでも学生時代を過ごしたオクラホマでもなく、ルイジアナ州ベントンをホームと呼ぶことにした。気がついたら30代になっていた。

「湖畔の殺人医師ですよDr.Death by the lake」というと、ウィリアムスは不器用な手つきで釣り糸をなおした。(つづく)

※文中敬称略

※この連載は月~金で毎日更新されます

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

日刊SPA!

最終更新:6/27(火) 9:00
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