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『論語』は「専門分野を超えた教養」―數土 文夫・前東京電力会長

6/28(水) 7:00配信

文春オンライン

教養とは「仁」である

 これまでの人生を振り返ると、本当に多くの本に支えられてきました。とりわけ『史記』『十八史略』『論語』『韓非子』『孫子』といった中国の古典には大きな影響を受け、今でもことあるごとに読み返しています。

 古代中国の倫理観で、最も重視されたのが「仁」でした。教養とは何かと問われれば、私の答えは「教養とは仁である」。言い換えれば、人に対する思いやり。男性や女性、外国人、異業種の人など、自分と違う相手に対応する能力のことです。相手に対する敬意や思いやりこそが仁であり、教養だと考えています。

 中国文学者の守屋洋さんは、「中国の古典の神髄は三つある」と言っています。まず「修己治人」――学問を修めて己の徳を積むことで、人を感化する。次に「経世済民」――世の中を治めて民を救う。ここから経済という言葉が出てきたわけです。三番目に「応対辞令」――人に応対するときは自分の言葉で話し、礼儀を仁の思いで行なう。教養を備えようと思えば、この三つが欠かせないのです。

「出処進退に潔くあれ」―会長就任を後押しした『論語』

 今年四月、私は東京電力の会長に就きました。困難を承知であえて引き受けたのは、『論語』に綴られた言葉に背中を押されたからです。

〈之を用うれば則ち行ない、之を舎(す)つれば則ち蔵(かく)る〉。「之」とは、「あなた」であり「私」でもある。「世の中が私を用いたいというのであれば、出ていく。世の中がもう用はないと捨てるなら、そのときは速やかに退く」という意味です。出るべき時と退くべき時を自ら知り、裸の王様や老害になることなく、出処進退に潔くあれということ。私は六十歳頃から、常にこのことを心掛けてきました。

 国家とこの会社が私を必要だというのなら、やらざるを得ない。つまり、〈義を見て為さざるは、勇無きなり〉というわけです。正義だと知りながら行わないのは勇気がない、と。

 そして〈君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩る〉。これは「君子は道理に合うかどうかで物事を判断し、小さな人間はどうしたら利益を得られるかを基準として考える」という意味です。今は世界中が利に走り過ぎている。国家も企業も個人も、そればかりでは長続きしないのではないでしょうか。

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最終更新:6/28(水) 7:00
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