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池袋駅最大の謎 「東口が西武で西口が東武」になった歴史をひもとく

6/28(水) 11:20配信

NIKKEI STYLE

 東京屈指のターミナル、池袋駅。東口に西武池袋線と西武百貨店、西口に東武東上線と東武百貨店があることから、「東が西武で西、東武」と歌われたこともある不思議な駅だ。東と西はなぜ、ねじれたのか。その理由を探っていくと、東西それぞれ、絡み合う複雑な歴史があった。

■東上線は「東京と上州を結ぶ」の意味

 池袋駅にはJRのほか、西武鉄道の池袋線と東武鉄道の東上線が走っている。西武と東武はいずれも1日の乗降客数が50万人程度と両社最大のターミナルだ。

 西武池袋線がJR池袋駅の東側に、東武東上線が西側に接続していることがねじれを生んだわけだが、ではなぜ名前とは違う側に駅を設けたのか。

 西武と東武のうち、先に駅を造ったのは東武。正確に言うと東武東上線の前身、東上鉄道で、1914(大正3)年のことだ。「東上」なのになぜ西側?

 実は、東上鉄道の「東」は東京で、「上」は上州=群馬県なのだ。東の上、つまり北東方面に向かうのではなく、群馬のある北西方面に向かうわけで、おのずと駅は西側にできた。

 では西武はなぜ東側に? こちらも東武同様、前身となる会社があった。その名も武蔵野鉄道。東上鉄道に遅れること1年。空いていた東側に駅を設けた。最初は「東は武蔵野」だったのだ。

 話はこれで終わらない。さらに資料を調べていくと、両社とも池袋を起点とは考えていなかったことがわかった。池袋が東京屈指のターミナルになったのは、偶然が重なった結果だった。

 まずは東上鉄道から見ていこう。

 「東武鉄道百年史」によると、1903(明治36)年に逓信大臣に提出した「東上鉄道株式会社」仮免許申請書には、「東京府北豊島郡巣鴨町字氷川」を起点とする、と書いてあった。今はない地名だ。

■東上線、新潟延伸構想も

 「氷川」とはどこか。国立公文書館を訪れ、当時の文書を調べてみた。鉄道院の文書を一つ一つ見ていくと、参考資料として付けられた地図の中に「氷川駅」の文字を見つけた。場所は大塚駅と巣鴨駅、護国寺に囲まれたあたり。今の文京区千石付近だ。明治時代の地図を見ると、「氷川神社」(現在は「簸川神社」に変更)の記載もあった。駅名の由来はこの神社にありそうだ。

 鉄道省が作成した「東上鉄道線路予測説明書」は、氷川周辺についてこう記す。

 「旅客ノ往来ハ市内ノ繁栄ニ異ナラズシテ、商工ノ旺盛、頻繁ニ至テハ亦贅言ヲ要セザルナリ」(市内に負けず劣らずにぎやかで、商業や工業が盛んなことはいうまでもない)

 ターミナルにと期待された氷川だったが、1911(明治44)年には早くも幻となる。東上鉄道の起点が「東京市小石川区小石川大塚辻町」に変更されたのだ。現在、丸ノ内線新大塚駅があるあたりだ。

 変更の理由は市電。氷川を起点とすると、東京市電の線路を越えなければならない。「人家が密集している場所に堤を設け、電車線路と交差させるのは、技術上からも困難」と「百年史」は指摘する。

 だが起点は再び変更となる。池袋の登場だ。「百年史」はその理由として、この間の池袋の急速な発展を挙げる。立教大学や豊島師範学校(現・東京学芸大学)などが次々と池袋に開校し、住民も増加。西口方面から地域に変貌の兆しが表れた、と指摘する。

 曲折を経て1914年、東上鉄道池袋駅はようやく開業にこぎ着ける。その6年後には東武鉄道と合併し、池袋駅は東武東上線の駅となった。

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最終更新:6/28(水) 13:07
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