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なぜ男と女は一緒に祈れないか? --- 長谷川 良

6/28(水) 17:27配信

アゴラ

イスラエルのメディアが25日報じたところによると、ネタニヤフ首相はエルサレムの「嘆きの壁」で男女一緒に祈れる場所を設置する案を拒否した。同首相は昨年段階では同案を支持していた。

「嘆きの壁」ではこれまで男性が祈る場所と女性の祈祷の場所は分かれ、男女が一緒に祈ることは禁止されていた。それに対し、外国から移住してきたリベラルなユダヤ人たちから「時代遅れだ」と指摘され、男女共に祈る場所を設置する方向でほぼ一致していたが、保守派のユダヤ人グループの巻き返しにあってその案は却下されたわけだ。

男女一緒に祈りを捧げるのを推進してきたのは「壁の女性たち」(Neshot Hakotel)というグループで、「嘆きの壁」での男女平等を実現するために久しく戦ってきた。一方、厳格なユダヤ人政治家らは同グループの提案に強く反対してきた経緯がある。

「嘆きの壁」の歴史を簡単に紹介する。ソロモン王が紀元前10世紀ごろ、神殿を建設したが、紀元前587年にバビロニアによって破壊された。紀元前515年に神殿は再建されたものの、今度はローマ軍が西暦70年に破壊した。その神殿の西壁の残滓が今日の「嘆きの壁」だ。ユダヤ人にとって最も聖なる場所だ。今回の決定に対し、海外移住組のリベラル派ユダヤ人に強い失望が聞かれる。

ところで「なぜ男と女が一緒の場所で祈れないか」という素朴な疑問について考えると、アブラハムを「信仰の祖」とする唯一神教の女性蔑視思想にまでどうしても遡らざるを得なくなる。

「男尊女卑」の流れは、旧約聖書「創世記」2章22節の「主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り……」から由来していると受け取られている。聖書では「人」は通常「男」を意味し、その「男」(アダム)のあばら骨から女(エバ)を造ったということから、女は男の付属品のように理解されてきた。

モーセが奴隷生活を強いられてきたエジプトから“神の約束のカナンの地”に向かって出エジプトをした時、旧約聖書の民数記1章では「イスラエル人60万人がエジプトから出ていった」と記述されているが、その数は成人男性の数だけで、女性は含まれていない、といった具合だ。

ユダヤ教から派生したキリスト教の神学を創設した古代キリスト教神学者アウレリウス・アウグスティヌス(354~430年)は、「女が男のために子供を産まないとすれば、女はどのような価値があるか」と呟き、「神学大全」の著者のトーマス・フォン・アクィナス(1225~1274年)は、「女の創造は自然界の失策だ」と言い切っている。現代のフェミニストが聞けば、真っ赤になるような暴言だ。ローマ・カトリック教会は2000年の年月を経過したが、いまだに女性聖職者を拒否している(「なぜ、教会は女性を蔑視するか」(http://blog.livedoor.jp/wien2006/archives/52023505.html)2013年3月4日参考)。

ちなみに、オーストリアのローマ・カトリック教会最高指導者シェーンボルン枢機卿は、「懺悔室で最も多く囁かれる問題は男女間の問題だ」と話していたが、「男と女」間の関係が有史以来最大の問題として今日まで未解決のままになっているという。

「嘆きの壁」は高さ約19メートルだが、男と女の間に聳える壁はそれ以上に高いだろう。男と女が同じ場所で手を取って神の前で和解の祈りを捧げる日は到来するだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年6月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』(http://blog.livedoor.jp/wien2006/)をご覧ください。

長谷川 良

最終更新:6/28(水) 17:27
アゴラ

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