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ダグ・ファーナスのハンブルhumbleな気持ち――フミ斎藤のプロレス読本#033【全日本プロレスgaijin編エピソード3】

6/28(水) 9:00配信

週刊SPA!

 199X年

 アメリカの地理にかなり詳しくても、オクラホマ州の片田舎にマイアミなんて町があることを知っている人は少ないだろう。

 “マイアミ”といえばすぐに思い浮かぶのはフロリダのリゾート地だが、ロードアトラスの地図をたんねんにみてみたら、カウボーイ映画の舞台オクラホマにもマイアミがあった。

 ダグ・ファーナスはこの町で少年時代を過ごした。オクラホマ州北東部のはずれに位置するマイアミは、人口1万4000人のスモールタウンで、いちばん近い都会のタルサからは車で約3時間の距離にあたる。

 牧畜、畜産業が町の経済を支えていて、ファーナスの実家もまた農家を営んでいた。田舎町の少年にとって、学校のクラブ活動は生活の一部のようなものだった。ファーナスも中学、高校を通じてフットボール、バスケットボール、陸上競技に汗を流した。

 そして、アメリカの少年ならだれでもいちどは夢みるように、いつかはプロのフットボール・プレーヤーになってスーパーボウルに出場する自分の姿を想像してみたりした。

 父親が経営する牧場は地平線のかなたまで草原が広がり、毎朝、キッチンの窓から太陽が昇るのが見えた。母親は町の病院で看護師をしていた。

 すぐ近所にはガールフレンドのジョディが住んでいた。マイアミにはファーナス少年のすべてがあった。

「“あれ”が起こるまでは、どんなことでも自分の思いどおりになると信じていた。ガキのころからオレは町のスーパースターだった。フットボールをやっても、バスケットボールをやっても、いつもオレがいちばんだったし、学校でも人気者だった。オレの力がおよばないものがあるなんて考えたこともなかった。……ほんの一瞬のできごとですべてが台無しになってしまうことがあるなんてわかるはずがなかった」

 それはファーナスが16歳のときのことだった。町のフェスティバルでロデオ大会に出場したあと、ジョディといっしょに父親が運転するピックアップ・トラックの荷台に乗っかって家路を急ぐ途中、1台の車が猛スピードで後ろからトラックに突っ込んできた。

 制限速度なんてあってないような田舎道での事故だ。しかも、相手は酔っぱらい運転だった。2台の自動車は大破し、荷台に座っていたファーナスはそのままハイウェイに投げ出され、意識不明となった。

「両ヒザ複雑骨折、ろっ骨5本骨折、鎖骨(さこつ)骨折、それから頭部の裂傷で58針も縫う手術を受けた。医者は『もう立って歩くことはできないかもしれない』といった。しばらくのあいだ、いったいなにが起こったかさえわからなかった。だって、きのうまでオレは元気にそのへんを走りまわっていたんだからね」

 病院のベッドで寝ているうちに、それまで90キロ近くあった体重は70キロを割った。もちろん、学校へも行けなかった。

 ケガの治療がひととおりすんだあとは、市内のリハビリ・センターに移されて理学療法のプログラムがはじまったが、それでもファーナスにはいったいなぜ自分がこんなところでこんなことをしているのかが理解できなかった。

「オレは病人じゃねえぞ、ってずっと思ってた。たまたま、なにかのまちがいでケガをして、たまたま偶然ここに入れられた、って感じだった。リハビリなんてクソ食らえだ。医者がなんといおうと知ったこっちゃないよ。いつになったらフットボールができるのか、とそればかり考えていた」

 歩行器を使ってどうにか歩けるようになると、ファーナスはリハビリ施設にダンベルを持ち込んでウエートトレーニングをはじめた。地元のボディービルダー、デニス・ライトさんが毎日のようにセンターにやって来て、正しいウエートの使い方をファーナスにレクチャーしてくれた。

 ライトさんに教わったウエートトレーニングは、リハビリ・センターでの訓練よりもよっぽどリハビリらしいリハビリだった。

 ファーナスはボディービルの入門書をていねいに読みながら、少しずつ両脚、両ヒザの筋肉を回復させていった。あのものすごいサイズの大腿部のルーツはこのときのリハビリにある。

 けっきょく、リハビリ・センターには6カ月間いた。ファーナスは、しっかりと2本の脚で立っていた。上半身の筋肉は半年まえよりもはるかにたくましくなった。医者はまるで目のまえで奇跡でも起こったかのような顔をしていたが、ファーナスにとってはすべて計画どおりだった。

「いまになって考えるとね、大ケガをしたことでオレはハンブルhumble(謙虚な、つつましやかな、おごり高ぶらない)になったんだ。ちいさな町で育ったから、なんでもすぐに手の届くところにあった。欲しいものがあれば必ず手に入ると思っていた」

「でも、それはまちがいだった。うまくいえないけど、病院を出てマイアミに帰ったとき、世界が新しくなったような気がした。家族や友だちに“ありがとう”っていいたい気持ちでいっぱいになった」

 ホームタウンのコマース・ハイスクールの12年(高校3年)に復学したファーナスは、フットボール部に戻ってランニングバックとして活躍し、ハイスクールを卒業後はマイアミから近いノースイースタン短大に進学。

 それから2年後にフットボール奨学金をもらってテネシー州立大に転学し、1983年の卒業と同時にNFLデンバー・ブロンコスにドラフトされた。

「プロでフットボールをやったのは1シーズンだけ。大学4年のときにパワーリフティング競技でスクワット881ポンドの世界記録を出したから、その道をきわめてみようと考えた」

 ファーナスは1987年までにパワーリフティング29個の世界記録をつくった。ベンチプレス601ポンド、デッドリフト821ポンド、スクワット985ポンド、合計2407ポンドの数字も世界記録として残っている。

 パワーリフティングで大物になったファーナスはニューヨーク、フロリダ、ミネアポリス、ハワイとアメリカじゅうのコンテストに顔を出すようになった。行く先ざきでプロレスラーと出逢った。

 ミネアポリスではロード・ウォリアーズから、ハワイでは“マグニフィセント”ドン・ムラコからプロレス転向を勧められた。

「オレも子どものころからプロレスが好きだった。こういう体をしていると、いつかはリングに上がって闘いたいと思うようになるんだ。プロフットボールの選手たちのほとんどは、じつはプロレスファンなんだ。みんな、それを隠しているんだ。ほんとうだよ」

 プロのフットボールを体験し、パワーリフティングで世界記録をこしらえたファーナスは、こんどは少年のころからのもうひとつの夢だったプロレスラーになる決心をした。

 ジムのトレーニング仲間だったケビン・サリバンが、マンツーマンでプロレスを教えてくれた。1987年7月のことだ。

 プロレスラーとしての道を歩みはじめたばかりのファーナスの身にまたしても事件が起きた。妻ジョディとの突然の別離だった。

 中学のころからのガールフレンドで、交通事故にあったときも、高校、大学、そしてプロフットボール時代もずっといっしょにいてくれたジョディが、7年間の結婚生活のあと、ファーナスのもとを去っていった。

「14歳のころからずっといっしょにいただろ。家のなかにいても、外で食事をするにしても、知らず知らずのうちに彼女はオレの“所有物”のようになっていた。まわりのみんなも、彼女をそんなふうに扱っていた」

「もちろん、オレはそんなことに気がつかなかった。でも、そのせいで彼女は自分がいったいだれなのかわからなくなっていた。そして、ある日、生まれて初めてひとり歩きすることを望んだんだ。オレは3日間、カウチにうつぶせになって泣きつづけた」

 ファーナスは、ジョディとの別れをハンブルに受け入れた。そして、プロレスをつづけているうちは結婚はもうしないほうがいいだろう、いまはプロレスのことだけで頭のなかをいっぱいにしておこう、と考えるようになった。

 たぶん、これから何年かしたのちには、きっとジョディに「ありがとう」といえる日が来るような気がするのだ。(つづく)

※文中敬称略

※この連載は月~金で毎日更新されます

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

日刊SPA!

最終更新:6/28(水) 9:00
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