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森慎二さん、8年前に望んだ二つのこと。

6/29(木) 16:30配信

BEST TIMES

 森慎二さんご逝去。
 突然の一報に衝撃を受けた。休養が発表されて3日後。すべてのことがあまりに急に進み、現実感がない。

 投手兼コーチとしてBCリーグ・石川ミリオンスターズのユニフォームを着ることになったとき、森さんに長くお話をうかがった。
 インタビュー前。取材陣の勝手な思い込みがあった。
――投げたいけれど投げられないつらさ、その葛藤を抱えながら日々もがいているのではないか。
 稚拙な発想だったと思う。


 森さんは、西武ライオンズ時代に150キロを超える速球を武器に、抑えやセットアッパーとして活躍した。スパイクの裏側が見えるほど足を高く上げる投球フォーム。端正な顔立ちに長い髪。球場でもテレビでも、すぐに分かるのが森さんだった。
 メジャー挑戦を直訴し続け、ようやく叶ったのがその4年目。タンパベイ・デビルレイズ(現在のレイズ)にポスティングで移籍をし、憧れのマウンドへの挑戦権を掴んだ。初登板となったオープン戦、3球目。森さんの野球人生のターニングポイントともいえるシーンが訪れる。

「グォパーン」

 投球と同時に、ものすごい音がして右肩が外れた。脱臼、全治一年。
 結局、翌2007年6月に解雇を言い渡され、1年半近く所属がない状態でメジャー復帰への道を模索、トレーニングを続ける。2009年、石川ミリオンスターズに投手兼コーチとして籍を置く。監督は西武ライオンズ出身の金森栄治氏だった。
 話を聞いたのはこの就任直後だ。

  投手兼コーチとはいえ、このとき森さんはまだまだマウンドに上がれる状態ではなかった。
 もがいているのだろう……。東京から石川へ向かう道中、西武時代の剛速球を思い出し、どんな姿でいるのか考えていた。
 練習が終わり、森さんに会うと明るかった。拍子抜けするくらい……。

「深刻は深刻ですけど、治るものだと思っていましたから。後悔しても、何もならないでしょ。自分の気持ちが暗くなるだけですよ。愚痴を言っても気分が晴れるわけじゃないし、それだったら治すために何をするべきかを考えたほうがいい。やってしまったものは治すしかないんだから」

 あの一球から「3年経った今」の心境を尋ねると、終始笑顔でそう答えた。3年の時間がそう思わせたのか、というとそうでもない。
 脱臼直後、家族に電話をすると「すぐアメリカに行く」と言われた。森は「心配しなくていい、来なくても大丈夫だ」と答えている。加えて脱臼した瞬間の話はもはや笑い話のようだった。

「あぁ、終わった。何しに来たんだろうと思いましたね。あの瞬間、人の体としておかしかった。肩が普段よりひとつ分下にあったから……」そう話し始め、「ベンチからコーチとトレーナーと通訳が飛んで来ますよね。コーチが“どの辺が痛いんだ?”って聞いてきたから、僕が全部ですって答えたら、通訳が“全部です”ってそのまま日本語で答えてるんですよ。思わず、“それ日本語だろっ”って突っ込もうかと思いましたね(笑)。まあ、気が動転していたんでしょうね、あまりの姿に」

 冷静ですね……合いの手を入れると森さんは言った。

「逆に冷めますよ、あそこまでいくと」

 話を聞きながら、我々は怪訝な顔をしていたのかもしれない。森は、取材陣を見てこう言った。

「涙とかあったほうがよかったですか?」

 笑いながら。

 それでも話している言葉の節々に「苦しみ」を耐えてきた男の姿が垣間見られた。

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