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ピザーラ創業者、人生の転機を語る

6/29(木) 21:10配信

PHP Online 衆知(THE21)

『THE21』7月号の連載「ターニング・ポイント」にご登場いただいた、(株)フォーシーズの淺野秀則会長。あらかじめいただいていた時間をオーバーして、これまでの道のりや転機について語ってくださった。誌面では紙幅が限られており、すべてをお伝えすることができなかったので、本稿でノーカット版をお届けしたい。

裕福な家に生まれたはずが、報われなかったピザーラ以前

――淺野会長は裕福なご家庭に育ったとうかがいました。

淺野 私の父は紙器メーカーの三代目で、私はその会社を継ぐはずでした。父は私に、「おまえは勉強よりも、人をまとめる力を磨いておけ」と言っていて、私はそのとおりにしていたのです。だから、学校の勉強は、あまり一生懸命にはやっていませんでした。
ところが、私が高校在学中に父親が倒れました。家はたちまち傾き、会社は人の手に渡ってしまい、もう大変です。しかし私には、頼れる先輩もいません。なぜって、「人をまとめる力」を磨いていたため、後輩はたくさんいたけれど、先輩はいなかったのですね(笑)。
家財を切り売りしながら大学に行き、在学中に起業しました。何不自由ない家に生まれたはずが、急転直下の下り坂を経験し、ハングリー精神が育っていたのかもしれません。

――学生起業では何をされていたのですか?

淺野 学生相手の旅行代理店をしていました。結構繁盛しましたよ。家に輪転機を置いて、チラシを刷って配って集客して。この方法、実は後で「ピザーラ」を始めたときに生きるのですが、当時は知る由もありません。大学を卒業した後は一度、企業に就職もしました。しかし、私はどうしてもサラリーマンになじめず、3ヵ月で退社してしまったのです。

――3ヵ月で退社されたのですか。その後はどうされたのですか?

淺野 結局、「ピザーラ」にたどりつくまでに、事業数でいえば10は失敗しました。いよいよ自分で稼がなくてはいけないと、飲食店、ウーロン茶の輸入販売、レンタルビデオ屋、様々なことに手を出しましたが、成功には至りませんでした。文字どおり身を粉にして働きましたが、何をしてもうまくいきません。借金も抱えたこの期間は、生易しいものではありませんでした。ご先祖様にとんでもない悪さをした人でもいたのだろうか、自分はどんな星の下に生まれてしまったのだろうかと、そんなことを考えてしまうほどでした。
中でも一番大変だったのは、経営していた飲食店で火が出て、体を張って火を消したものの全身やけどを負い、生死の境をさまよった挙げ句に1年半もの療養を余儀なくされたことです。その後もまた飲食店を再開しましたが、やっぱりもう一つでした。新しく始めたラーメン屋はそこそこ賑わったものの、夜、閉店後の片づけをしながら、「自分がやりたいのはこの仕事なのだろうか。自分の一生はこのまま終わるのだろうか」という思いが浮かんできて、頭を離れませんでした。

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