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「八幡和郎 VS 寺脇研」の元官僚対決が話題に --- 八幡 和郎

6/29(木) 16:50配信

アゴラ

産経新聞の電子版が「【加計学園問題】元文科官僚の寺脇研氏の書き込みに反論 評論家の八幡和郎氏「こんな考え方は岩盤規制の権化である前川氏や寺脇氏などごく少数…」(http://www.sankei.com/politics/news/170627/plt1706270021-n1.html)という見出しで報じ、それをハフィントンポストでも「寺脇研氏 vs. 八幡和郎氏 元官僚同士が激論」(http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/27/discussion-about-kake_n_17303004.html)とタイトルをつけて掲載するなどあちこちの電子メディアで大きく報じられた。Facebook上のやりとりがこんな形で拡散するのも珍しいことだ。

ことのおこりは、文部科学省OBの寺脇研・京都造形大学教授が、共同通信の『獣医学部新設の特区を全国展開と安倍首相 安倍首相は、国家戦略特区に関し「全国展開を目指したい。意欲があれば獣医学部新設を認める」と述べた』(https://this.kiji.is/251207904491094023)という記事に対して、「とんでもない話。「お友達」批判をかわすために他大学の参入をどんどん認めようというのだろうが、これでは獣医師業を自由競争にしてしまうことになる。その先は医師、歯科医師の自由競争、そして自由診療… 誰でも同じ医療が受けられる時代が終わってしまう」と書かれたので、これをシェアして次のように書いたことだ。

“「医学部の偏差値がほかの学部よりはるかに高く国家のためにもっと重要な理工系の他学部に人材がいかない現状を文部科学省はなんとかしたいと思いながらも、厚生労働省や医師会の政治力に負けて口惜しい思いをしているのかと思っていた。しかし、この寺脇氏のコメントをみると、医者の既得権益と結んで異常な医学部集中を擁護し医師の供給増加を文部科学省主導で邪魔しているのだということのようだ。こんな考え方をするのは岩盤規制の権化である前川氏や寺脇氏などごく少数だと信じたい。医療政策まで文部科学省は医療関係者と密室でお決めになり、それに政治家は介入するなということでしょうか」”

私にとって加計学園問題などどうでもいいのだが、「他大学の参入をどんどん認めてしまったら、獣医師業が自由競争になって、その先は医師、歯科医師の自由競争、自由診療になって誰でも同じ医療が受けられる時代が終わってしまう」としている点にひどく違和感を持ったのだ。

つまり、寺脇氏は文部科学省が、医師会の主張に沿って、医師が過剰にならないように医学部の増設を抑えていることを是としたのである。

私はつねづね医学部の異常人気は日本の教育や経済社会を著しく歪めていると主張してきた。いまや、高校は東大より京大より医学部への進学者数を競うようになっている。という以上に、公立高校などは有力大学医学部に現役で送り込むなど諦めている。

そのためには、中高一貫制の私立学校の生徒が鉄緑会という塾に通わないと無理である。ほかの学部と同じ入学試験で高得点をとるために、非常に特殊なテクニックを磨いてミスを減らさなくてはいけないので、英語や数学の天才でも公立高校からではほとんど無理であり、その結果、よほどの金持ちでないと東大理三や京医は諦めねばならない。

こうして医者が不足し、高収入などが期待できる美味しい職業である状況が維持され、しかも、18歳で医学部に進学すればよほどのことがない限りその職業に就け(ほかの人気職業は22歳にならないとだめだ)、さらに、図抜けて名誉でもあるという状況が生じている。

その結果、理系の最高水準の人材のあいだでゲーム感覚も含めて医学部集中が起こり、その結果、日本経済が本当に高度の人材を要求しているほかの学部に有能な人材が行かず、しかも、本当に医学に情熱をもち向いた人材は医学部に行けなくなっている(一般論としていえば、どの学部も同じような難易度である状態であるとこい、本当にその学部の仕事に情熱をもった学生が来るはず)。

そして、医学部の学生は同じ大学の他学部の学生を見下し、良く出来る他学部生に「君なら医学部でも来れたのにどうして来なかったの」とか平気で言うようになっている。

こういう状況を、教育を司る文部科学省が放置しておくのはまことに不思議である。ところが、寺脇氏は医師が増えて競争が激しくなることを心配されて、そういうことを避けるために文部科学省が定員を絞らねばならないと仰っていると解釈せざるを得ない発言をされていた。

そこで、これを批判したのである。
私は夕刊フジで先頃、文部科学省批判の連載をしたが(最終回の電子版リンク(http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170619/soc1706190002-n1.html))非常に不思議なのは、文部科学行政が一貫した哲学もなく、それぞれの分野の縦割り社会の論理の擁護者となっていることである。

そもそも、文部科学行政も国民の示した政治的意思にそって運営されるのが原則であるのに、ほかの省庁に比べても抵抗しすぎである。しかも、専門家としての意見表明は、教育行政や文化行政についての一貫した哲学に基づいて行われるべきなのに、日教組などの圧力団体、関連業界、それぞれの専門分野のドンたちの意向の代弁者として首尾一貫せずに分野ごとの意向にふりまわされていると印象をもっている。

大学・学部の設置でも、社会の需要からして定員が過剰で定員割れをしている大学が多くても放置していたり新規に認めたりしているし、一方で、獣医学部のように非常に高い倍率になっていても52年も業界や既存大学の意向に従って新設を認めないこともあるなど訳が分からない。

これを天下り先があるかどうかで決めているのでないかと批判する人がいる。そうでないことを信じたいが、前川氏の開き直り岩盤規制擁護にみられるように、やはり少しおかしいと思うのである。

明治時代には、文部科学行政は、新時代を築くために基幹的分野で政治家がもっとも力を入れて取り組んでいた。現在では、守旧派がガラパゴス論理で日本の足を引っ張る阻害要因でしかない。

八幡 和郎

最終更新:6/29(木) 16:50
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