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江戸の切ない娼婦「夜鷹」を妻にした男

6/30(金) 12:00配信

BEST TIMES

『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 中橋あたりの屋敷に奉公する男が夜、ひとりで遊び歩いて帰る途中、汐留の辺にさしかかった。暗がりから、女がふるえ声で呼びかけてきた。
「お見かけして申し上げます。お情けをおかけください」
 見ると、振袖を着た若い女だった。
「いったい、なにごとか」
「助けると思って、鳥目を少しばかりくださりませ」
 男はこのごろ夜道に出没する夜鷹であろうと察した。

 それにしても、街娼に立つには人品卑しからぬ風情である。よほどの事情があるのであろうと同情した。
「手を出すがよい」
 男は財布を取り出してさかさにするや、中身をすべてあたえた。女は両手で金を受けながら、涙に暮れている。
「どうしてそのように泣くのか」
「このようなお恵みにあずかりましたからには、包み隠さず申し上げます。あたしは浪人のひとり娘でございまして、去年には母が死に、いまは年老いた父とふたり暮らしでございます。父が病の床に伏してから、売り食い生活をしてまいりましたが、もはや売る物もなくなり、食べることもままなくなりました。
 あたしどもの貧窮をみかねて、近所の人が、『夜道で夜鷹に立つがよい。食い扶持くらいは稼げよう』と、勧めてくれました。やむなく、恥を忍び、振袖を着てきょうの夕暮れから道に立ったのですが、とても声をかける勇気がありません。とうとうこんな時刻になってしまいました。このまま手ぶらで帰っては、あす食べる物もありません。おまえさんを見かけ、勇気を振り絞って声をかけてみたのです。すると思いがけなく、このように助けていただき、うれしくてなりません」
 女の話を聞き、男ももらい泣きをしながら、「あすの晩も必ず来るから」と約束し、その場は別れた。

 それからというもの、男は女を小宿(男女の密会用の宿、出合茶屋)にさそって情交したが、日を重ねるほどに女へのいとしさが増す。
 ある夜、女が言った。
「あたくしはこのようなあさましい仕事をしているのを父に知られるのは恥ずかしいので、おまえさまと夫婦の約束をしたと言ったのです。すると、父は喜び、『ぜひ会いたい』とのこと。一度、父に会ってくれませんか」
 男は承諾し、女の父親に会いに出かけた。

 父親は病の床に伏していたが、男を見るや枕から頭をあげ、両手を合わせて言った。
「わしは元は由緒ある身でしたが、不運が重なり、このように落ちぶれてしまいました。娘の身の上が心配でしたが、そこもとと結ばれれば、いまはもうこの世に思い残すことはござらん。なにとぞ、娘をよろしくお願い申す」
 そして、薄汚れた布団の下から脇差を取り出し、男に渡した。
「これだけは武士として最後まで手放さぬつもりでしたが、婿どのに引き出物にいたす」
「ありがとうございます」
 男は押しいただいて脇差を受け取り、その日は帰った。

 男が奉公する屋敷の主人は道具好きだった。しかも最近では刀の収集に凝っているのを知っていたので、男は脇差を主人に見せた。主人はひと目見て、その脇差がかなりの名刀であると気付いた。
 そこで、あらためて脇差を刀剣鑑定家の本阿弥に見てもらった。本阿弥の鑑定は、「刀工の助宗が後鳥羽上皇の勅命で鍛えた菊一文字に間違いございませぬ」というものだった。

 感心した主人は男に家と多額の金をあたえ、女をめとらせた。男は女を女房にすると同時に、父親も家に迎えて看病した。その年の暮れ、父親は死に、泉岳寺の墓地に葬った。

『艶道通鑑』に拠った。上記の話の年代はあきらかでないが、『艶道通鑑』の刊行は正徳五年(1715)である。
 美談と言えようが、社会背景としては当時、女が金を稼ごうと思えば娼婦くらいしかなかったことがわかる。女中や下女などの仕事もあったが、すべて住み込みである。病人や老人の面倒を見ながら働くのは無理だった。

文/永井 義男

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