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急逝の森コーチ、周囲に愛された人柄と笑顔。「選手の未来を大切に」BC石川監督時代の思い出

6/30(金) 10:00配信

ベースボールチャンネル

 埼玉西武ライオンズの森慎二投手コーチが、28日午後0時10分、多臓器不全のため、福岡市内の病院で死去した。42歳だった。BCリーグ時代に取材した記者が人柄をつづる。

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■笑顔が与える安心感、周囲ねぎらう“気遣いの人”

埼玉西武ライオンズの森慎二投手コーチと初めて会ったのは、2014年のBCリーグ・石川ミリオンスターズの監督兼選手時代。記者になって3年目、スポーツ取材は右も左もほとんどわからなかった。
 
森さんは、勝っても負けても真摯に取材に応じてくれ、緊張しながら投げかけるつたない質問にも丁寧に答えてくれた。飾らず、おごらず、大きな体には不釣り合いな親しみやすい笑顔で、安心して話が聞けた。
 
負けたときでも、「よくやってくれた」と選手をねぎらう気持ちを忘れない“気遣いの人”だった。その姿勢を甘いと言う人もいたが、BCリーグで勝つこと以上に、「一人でも多くの選手をNPBで勝負できるように育てる」ことを目標にし、選手の未来を大切にしていた。

 森さんにとっては些細な事だったと思うが、忘れられない思い出がある。

 試合以外の取材で会ったときのことだ。こちらは普段、球場では履かないハイヒール姿だった。
開口一番、「お、珍しいね」とその違いに気づいた。「いつもはひょこひょこ歩いてるのに。こんな感じで」と、ちゃめっ気たっぷりに歩くしぐさをまねされた。
 
ひょうきんな一面を見られて記者冥利に尽きると感じるとともに、いくら球場に通っているとはいえ、いち記者のそんなところまで見ているなんてと驚かされた。


■誰よりも大きな背中を忘れない

 14年は、森さんがBCリーグで監督を務めた最後の年となった。北陸地区優勝を決め、群馬ダイヤモンドペガサスとのチャンピオンシップに挑んだ。連日サヨナラ劇を繰り広げたが、最終戦で敗退。四国でのグランドチャンピオンシップには進めなかった。
 
「すいません。負けてしまいました」。ファンを前に言い訳せずに謝る姿勢に人柄の良さがにじんだ。

チームの試合はホーム戦はもちろん、富山、群馬まで取材に行くこともあった。そのシーズン終了後、四国にも連れてってほしかったと冗談を言うと、「それはプライベートで行ってね」といつも通りの笑顔で返された。

あれから約3年。西武のコーチになってから会う機会はなかった。

私事だが、再び野球に関わる仕事を始めた矢先の訃報だった。近いうちに会えるだろうと楽しみにしていたのに。

初めて会ったときに交わした言葉はよく覚えていない。ただ、その時見たグランドに立つ誰よりも大きな背中は決して忘れない。


山岸佳奈

ベースボールチャンネル編集部