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向井理で引っ張りまくった『やすらぎの郷』、批判もエンターテイメントに昇華する凄さ

6/30(金) 6:00配信

リアルサウンド

 『やすらぎの郷』では毎週いろんなことが起こるが、この二週間は、俳優のシノこと四宮道弘(向井理)がやってくるということで、姫こと九条摂子(八千草薫)たちの騒動が描かれた。しかし、実際にシノが出てくるまでには、視聴者としてはかなり引っ張られた。

 6月16日放送の予告編で、シノという存在が初めて登場する。井深凉子(野際陽子)が“濃野佐志美(こいのさしみ)”というペンネームで書いた『散れない桜』という小説がドラマ化され、玉砕する少年兵の役をシノが演じるという設定だ。そして、シノを演じるのは向井理だということも明らかになっていた。しかし、翌週の放送では、早々にシノが登場するのかと思いきや、その前日談が延々と描かれる。

 当初、向井理が企画を手がけ、自身の祖母のことを描いた映画『いつまた、君と ~何日君再来~』のプロモーションとして、うまくドラマ出演を合わせたものだと考えていた。なぜなら、その映画には野際陽子が祖母役として出演しているし、6月23日放送の『徹子の部屋』にも向井は登場して映画をプロモーションしている。タイミング的にはばっちりだ。

 しかし、プロモーションではまったくなかった。シノと『散れない桜』には、複雑なドラマがあったのだ。この物語は、姫こと九条摂子がモデルとなっている。濃野佐志美の小説では、九条節子を傷つける表現はないのだが、ドラマ化されるのに伴い、彼女のつらい記憶を呼び起こす可能性があった。

 が、当の九条摂子はシノに会えるということで大盛り上がり。なぜなら摂子がかつて恋に落ちた映画監督に、どことなくシノが似ているからだ。シノに会えるということで、いてもたってもいられない姫は、夜な夜な菊村(石坂浩二)の部屋を訪れ、ああでもないこうでもないとシノへの思いを乙女のように語るものだから、菊村は眠れない日々を送ることになる。

 騒動はそれだけではなかった。特攻隊の出撃前に行われた「最後の晩餐」に出席したという、姫にとっては思い出したくない出来事があった。原作には描かれていないというのに、それがテレビドラマの脚本の中には描かれていたのだ。焼却したはずの資料が一部残っていて、それをプロデューサーが読んで広まった結果だった。

 脚本に書かれている戦争の記述は、菊村にとっても、憤りを感じるものだ。菊村はドラマを手掛けた脚本家に対しての意見を求められると、「売れっ子です。筆力もそこそこあります。ただし、私の意見ですが軽いです。局に食い込んで商売をする能力は抜群ですが、それだけに視聴率を稼ぐ力もなかなかです。が、まったく哲学というものがありません。それにまだ若くて戦時中のことは知らないんです。そのくせ保守的な発言をして体制派からかわいがられています」と語る。そのセリフだけで、『散れない桜』の内容と、その脚本家が誰を指しているのかが自ずと想像できる。

 当初は、シノというイケメン若手俳優が登場するのに伴い、やすらぎの郷の住民たちの狂乱が描かれるだけかと思ったら、現在の小説やドラマ、映画においての戦争の描かれ方に対しての批判にもなっていたのだ。

 こうした批判をエンターテイメントに昇華するのは難しい。脚本家のひとりよがりに見えるかもしれないし、失敗すると批評としてもエンターテイメントとしても中途半端なものになりかねないが、本作は、もちろんエンターテイメントになっていた。

 ずいぶん前に描かれた濃野佐志美のエピソードが、後になってこんな形で回収されたり、また現実に起こっている出来事と組み合わされ、現代のテレビ業界全体への批判も入っている。それなのに、ちょっと下世話で、堅苦しくもなく、話の続きが気になって仕方がない。その作りを見ているだけで、私などが偉そうに言うのも恐縮であるが、倉本聰の技術が伝わってくる。

 シノは6月29日の放送でやっとやすらぎの郷にやってきたが、まだ『散れない桜』がどうなるのかは描かれていない。しかし、納得できて、かつちょっとせつないこのエピソードの結末が近いうちに描かれるに違いない。

西森路代

最終更新:6/30(金) 6:00
リアルサウンド