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【YOUはどうしてJリーグに?】FC東京を離れる豪州代表FWバーンズ、試練の2年間。心で通じた通訳との固い絆

6/30(金) 12:19配信

フットボールチャンネル

 Jリーグにおける外国籍選手といえば、ブラジル人や韓国人のイメージが強い。しかし、近年その傾向は弱まり、ヨーロッパからも多くの選手が日本でのプレーを選ぶようになった。彼らはどんな思いを胸にJリーグのピッチに立っているのだろうか。第4回は今月末をもってFC東京を退団するオーストラリア代表FWネイサン・バーンズが日本で過ごした2年間、そして共に過ごした通訳との固い絆に焦点を当てる(不定期連載です)。(取材・文:舩木渉)

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●「自分を試す」ためだったJリーグ移籍

「悲しいけど、前に進む。これがフットボールであり、次のチャレンジを楽しみたい」

 FC東京の選手として過ごせる時間が残り1日となったネイサン・バーンズは、誰よりも冷静に自分が置かれた現実を理解していた。2017年6月30日に迎える契約満了とともに退団が決まり、一旦無所属の身となる。

 バーンズのFC東京加入が発表されたのは2015年7月8日のこと。オーストラリア・Aリーグの年間MVPという実績を引っ提げ、日本にやってきてからちょうど2年が経った。新天地にJリーグを選んだ理由は「アジアで最もレベルの高い日本に来たい」という単純明快なもの。

 オーストラリア代表としてもアジアカップ優勝を果たした直後で、「自分の力を試したかった」と日本行きを選んだ理由を語った。しかし、バーンズを待ち受けていた現実は予想以上に厳しかった。

 2015年のFC東京は過去最高に並ぶ年間4位という成績を残したが、シーズン途中の加入だったこともあってマッシモ・フィッカデンティ監督率いるチームの主力にはなりきれなかった。

 城福浩監督が就任した2016年、序盤戦こそ出番に恵まれなかったものの、4月以降はコンスタントに出場機会を得られるようになった。だが、チームの成績不振にともなう監督交代で篠田善之監督が就任してからはベンチ入りもままならなくなってしまう。

 そして迎えた2017年、バーンズはFC東京に残留して篠田監督の下で戦い続けることを選んだ。それでも指揮官の信頼はつかめず。結局今季のJ1リーグ戦の出場がないまま退団することとなった。

 なぜ自分に与えられるチャンスがわずかだとわかっていながら、日本の他のクラブや中国、韓国からのオファーを蹴って残留したのか。バーンズは明かす。

「自分の力を必要としてくれたFC東京と2年契約を結んだ。どんなオファーが来たとしても、その契約が残っているのにチームを離れるわけにはいかない。信頼を裏切るわけにはいかない。自分にはまだここでやるべきことがある。そう思ってFC東京に残った」

 たとえ厳しい立場でもクラブへの忠誠を貫き徹す。今季に懸ける彼なりの決意表明だったのかもしれない。FC東京でのJ1通算出場数は26試合だった。

●苦悩した2年間。示し続けた絶対に諦めない姿勢

 どんな時でも諦めない。小柄な身体にブレない強靭な精神と溢れる闘志を秘めたバーンズは、自ら志願してFC東京U-23の一員としてJ3の試合にも出場した。今年3月12日のJ3開幕戦、カターレ富山戦の後の言葉は今でも忘れられない。

「もし最終的にクラブからいらないと言われたら、新しいクラブを探すことも選択肢になる。だけど、契約がある限りは絶対に諦めないよ。それが僕の仕事だからね」

 FC東京を去る日が近づき、バーンズは「本当のことを言えばもっと多くの試合でプレーしたかった」と素直な気持ちを口にした。それでも「自分のできることをやった結果だ。パフォーマンス自体には満足している」と、出場機会の少なさを決して他人の責任にはしない。最後まで真の紳士だった。

「川崎フロンターレやガンバ大阪、鹿島アントラーズ相手にゴールを決めた試合はよく覚えている。あと、デビュー戦は最高の思い出だね」

 バーンズはFC東京の選手としてJ1のリーグ戦で3ゴールを記録したが、その時の対戦相手が鹿島、G大阪、そして川崎Fである。彼にとっての日本での2年間は、困難な時間でもあったが、同時にかけがえのない重要な時間でもあった。

 オーストラリアからやってきたストライカーを語るにあたって、もう1人欠かすことのできない人物がいる。それは2016年から1年半にわたって、通訳としてバーンズを支え続けた伴和曉の存在だ。

 そのことについて尋ねると、バーンズは言った。

「いま足もとに影が見えるかい? それがバンだ。どこを見てもバンがいる。僕の影なんだよ。ナイスガイで、チームのために、外国人選手のために本当によく働いている。お互いの未来に幸あることを願っている」

●通訳の人生を変えたバーンズとの出会い

 伴にとってもバーンズとの出会いは人生における大きな転換点になった。2015年までカンボジアのナガワールドFCで現役プロ選手としてプレーしていた彼が、FC東京の通訳として帰国して1年半が経つ。

「僕がバーンズと一緒に仕事をした初めての試合が、ACLのグループステージ第2戦、ホームでのビン・ズオン戦(2016年3月1日)でした。彼はゴールを決めてマン・オブ・ザ・マッチを獲得して、その試合後の記者会見に出席したのですが、彼のことはあまりわからず僕も緊張していて。でも彼が笑顔で『僕がそばにいるから』と言ってくれました。それが本当に印象に残っています」

 そして日本で初めてタッグを組んだ戦友との別れの時がやってきた。

「僕がいままで出会ったサッカー選手、人間の中で、こんなにもプロフェッショナルというか、紳士的な人はいなかった。バーンズと離れるのは本当に寂しいです。彼と出会えて経験したこと、彼から学んだことはたくさんあります。どんな時でも諦めずに自分の全力を出し続けることを学んだので、それが彼と出会って、共に過ごした時間で味わえた何よりも一番の思い出かなと思っています」

 バーンズが試合に絡めず苦しい時期も共に過ごし、その感情を共有してきた。だからこそ「彼がハッピーな時は僕もハッピーですし、彼が苦しい時は僕も苦しい思いだった」と伴は語る。2人には選手と通訳という役割を超えた、心と心の信頼関係が出来上がっていた。

 先述の通り、昨年は監督交代とともに出場機会が激減した。常に“影”として隣に立ち、当時のバーンズの苦しみを誰よりも理解していた伴にとって、感慨深かった試合があった。約2ヶ月半ぶりのリーグ戦出場となった、昨年10月1日のアウェイ・サンフレッチェ広島戦である。

「城福さんが退任して、篠田さんが就任してからなかなか試合に出られず本当に苦しい時期が続いていた中で、アウェイの広島戦で(新体制で)初めてベンチ入りして、(後半途中から)試合に出たんです。その時のサポーターのバーンズコールと、彼の躍動している姿を見た時に、ちょっとベンチでうるっときてしまって…。彼の気持ち的にもあの時は本当に苦しかったので、印象に残っていますね」

●バーンズから最後のメッセージ。感謝と決意の言葉

 バーンズは今月末をもってFC東京を離れる。ヨーロッパやオーストラリアで充実の時間を過ごした後、日本での2年間は我々の想像が及ばない苦しさだったに違いない。それでも新たな挑戦に踏み出すにあたって、29歳のFWは決して下を向かない。

「いまは日本でいくつかのオプションを持っている。自分としてもできれば日本に残りたい。ヨーロッパへ行くことも選択肢になるね。もし全てがダメになったら、オーストラリアに戻らなければいけないかもしれない。日本に残れることを願っているよ。来年はW杯があるから、オーストラリア代表としてそれに出場するためにも試合に出る必要があるんだ。できるだけいいクラブ、大きなクラブでプレーしたい」

 通訳として1年半にわたってバーンズを支えた伴も、笑顔でパートナーを送り出そうと前を向く。

「もちろん僕は(契約満了の)リリースが出る前から、彼がチームを離れることを知っていました。そのことを考えないように、できれば現実から目をそらしながら…と考えていたんですけど、リリースが出た直後に彼との1年半を振り返って、思わず涙が流れてきました。今は最後まで楽しみながら笑顔で別れることを考えています。本当に彼と出会えてよかった。できればまた同じチームで仕事をしたいと思いますし、彼のキャリアを誰よりも応援しています」

「自分の実力を試す」ために日本へやってきたバーンズにとって、FC東京での挑戦は失敗に終わったように思えるが、本人は成長のための糧であり、一時の試練としか捉えていないだろう。これまでの2年間で経験したものを、次の挑戦に生かすべく力を蓄えている。

 最後に、バーンズから感謝の言葉と、ファンへのメッセージをもらった。いつでも、どこでも、どんな状況でも、笑顔を絶やさず真の紳士だった彼のさらなる活躍と、飛躍を願ってやまない。

「本当に多くのファン・サポーターがFC東京、そして僕のことを常に支えてくれて、そのことに感謝したい。ファンこそがクラブを築いていくと思う。特にFC東京サポーターの誠実さは素晴らしかった。僕のキャリアは続いていくので、これからもFC東京とネイサン・バーンズを応援してくれれば嬉しい。本当にありがとう!」

(取材・文:舩木渉)

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