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家を背負って「移住を生活」 美術家・村上慧の369日

6/30(金) 6:30配信

Book Bang

 車しか走っていない国道の縁を、家の形をしたものが歩いている。家の下からは二本の足が突き出し前進している。なかにいるのは、一九八八年生まれの美術家・村上慧だ。彼はリュックをしょった上に発泡スチロールで自作したこの家を被り、全国を北へ南へ移動する。夜には家を置かせてくれる場所を探してドアから足だけ出して眠り、起きるとその町で見た家々を絵に描く。そうやって移動しながらつけた369日間書きつづけた日記である。

 なぜ彼はこのような奇妙な行動を自分に課さなければならなかったのか。行き過ぎた消費社会に労働を切り売りする虚しさ。あれだけ大きな原発事故があったのに、平然と元にもどっていく日常の怖さ。その原発に反対を唱えても、差した指がすぐに自分にもどって身動きがとれなくなる。この萎縮を解くには自ら動くしかない。

 単なる旅ならリュックにテントを入れて移動すればいいが、彼が目指すのは「移住を生活する」ことだった。「定住と貯蓄」の象徴としての「家」を問題にするのだから、家を捨ててはダメなのだ。別の姿を与えて抱え込まなくてはならない。

 かくして「生きていく限り、連れて歩かざるをえない荷物」としてそれをせおって歩くというカタツムリのような発想が生まれる。

 何かの答えを得るためではなく、むしろ「問いを立たせつづける」ための移動である。全身全霊をかけてそれを行ううちに、日本社会とそこに生きる自分に自信を失いかけた彼は、世界を肯定する力を蓄えていく。

 行く先々ですばらしい出会いがある。本気で物を考えている人たちが列島の各地にいるのだ。その交流の光景も感動を呼ぶ。

 家をせおってふいに現れる彼は、土地の人にとっては「美術家」ではなく突飛な変人にすぎず、名付けから遠いゆえに、人々の日常を揺さぶり、彼もまた揺さぶられるのだ。

[レビュアー]大竹昭子(作家)
おおたけあきこ1950年東京生まれ。作家。小説、エッセイ、批評など、ジャンルを横断して執筆。小説に『図鑑少年』『随時見学可』『鼠京トーキョー』、写真関係に『彼らが写真を手にした切実さを』『ニューヨーク1980』『出来事と写真』(共著)など。朝日新聞書評委員。朗読イベント「カタリココ」を開催中。[→]大竹昭子のカタリココ

新潮社 週刊新潮 2017年6月29日号 掲載

新潮社

最終更新:6/30(金) 6:30
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