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中世の人も勉強熱心! 江戸時代以前でも識字率は高かった?

7/1(土) 18:00配信

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「おかしな猫がご案内 ニャンと室町時代に行ってみた」より。室町時代の人々の暮らしにまつわるエトセトラ。寺子屋制度の礎があった。江戸時代以前の庶民教育の話。

戦国時代、すでに識字率が高かったとか

 日本人は伝統的に教育熱心で、特に江戸時代における教育水準は世界的に見ても高く、庶民の8割が寺子屋や手習い師匠に通い「読み、書き、そろばん」を学んでいたといわれています。そうした庶民教育の素地は中世にでき上がっていたというのがマンガのテーマでしたが、実際はどうだったのでしょうか。

 中世日本の教育が進んでいたことは、戦国時代に来日した宣教師の言葉からもうかがえます。フランシスコ=ザビエルは「大部分の人々は、男性も女性も読み書きができ、特に武士や商人は際立っている」と述べ、ルイス=フロイスは島原を訪れた際に「この地の男子・女子はほとんどみな読み書きを知っている」と識字率の高さを指摘しています。読み書きばかりではなく、庶民も男女を問わず和歌や連歌、漢詩の素養を身につけていたことは、狂言や御伽草子などの史料から読み取れるといわれています。

寺院を中心とした庶民の教育は室町時代から? 

 平安・鎌倉時代まで、教育の対象は貴族や武家の子どもたちで、読み書きはもちろん、和歌、漢詩、音楽、物語、儒教など、幅広い教養科目を学びました。一方、庶民の教育機会は限られ、子ども時代を稚児として寺院で過ごした一部の人に限られていました。

 室町時代になると、わずかながら一般庶民の教育を担う寺院が現れます。永享7年(1435)に成立した『長谷寺霊験記』には、摂津国住吉の藤五という者が息子を和泉国の巻尾(まきのお)寺へ送り、読み書きを学ばせた話があります。16、17歳くらいになったら呼び戻して家業を継がせるつもりでしたが、期待に反して息子は出家してしまったということです。

 また、16世紀後半、興福寺多聞院の英俊という僧侶の日記によると、多聞院やその子院には奈良の商人の子どもたちが読み書きを習うために預けられていて、その中には女子もいました。先のザビエルの書簡にも、僧侶は自分の寺院で子どもたちを教育し、尼僧は少女に、坊主は少年たちに書くことを教えていたと述べられています。

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