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展望席の伝統「ロマンスカー」はこう進化した

7/1(土) 6:00配信

東洋経済オンライン

 昭和初期、開業したばかりの地下鉄とともに戦前の流行歌「東京行進曲」に歌われた「小田急電車」。その行楽電車の歴史は戦前にまでさかのぼる。

【写真】登場時に狭軌鉄道の世界最高速度記録を達成した3000形SE車

 1935(昭和10)年6月から、新宿―小田原間をノンストップ90分で結ぶクロスシート、トイレ付の「週末温泉急行」として運転が始まったのが最初で、当時すでにちまたでは「ロマンスカー」と呼ばれていた。当時は流行歌に歌われたこともあり、箱根への週末温泉急行は「お忍び電車」としても話題になったという。

■「ロマンスカー」の登場

 小田急初の特急電車が誕生したのは終戦後の1949(昭和24)年のこと、濃黄色と紺色の2色塗りの新鋭1910形が8月から運行を開始、新宿―小田原間の所要時間は90分であった。9月からは3両編成化され、車内には「走る喫茶室」が設けられ、現在の小田急ロマンスカーと同じサービスも開始された。同年10月のダイヤ改正では正式に「小田急ロマンスカー」の愛称が用いられることになった。

 この時代の小田急は、新宿―小田原間を最短60分で結ぶという構想の下に国鉄の鉄道技術研究所の協力を得て高性能電車の開発を進めていた。画期的な流線形高性能高速電車として1957(昭和32)年に登場したのが、3000形SE車と呼ばれる特急電車であった。

 SEとは「Super Express」の略称で、やがて開業する東海道新幹線の超特急にちなんだ命名だったと思われる。


 車体間に台車を配した連接構造のこの電車は、国鉄東海道本線上での試運転時に、当時の狭軌鉄道における世界最高速度である時速145キロメートルを樹立した。

 SE車によって新宿―小田原間は64分まで短縮され、そのユニークなデザインとともに観光客の人気を博し、箱根観光の定番列車へと成長した。後継車が登場したのちも、SE車は8両から5両に編成を短縮して国鉄御殿場線直通の「あさぎり」号などに軽快なフットワークで幅広く運用され、1992(平成4)年まで活躍を続けた。鉄道の歴史に残る名車中の名車だといえよう。

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