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黒柳徹子の語る、昭和のテレビのとっておき秘話 #2

7/2(日) 7:00配信

文春オンライン

黒柳徹子さんが語る昭和のテレビの話。当時の共演者とのエピソードから今後の目標まで、とっておきのお話を伺った。
(出典:文藝春秋2016年1月号)

アクシデントだらけの昭和のテレビ――セリフを憶えない三木のり平さん

 当時のテレビはすべて生放送ですからアクシデントは毎日何かしら起こりました。「夢であいましょう」のようなバラエティーはまだしも、ドラマもそうですから、今では考えられないことです。

 たとえば一九六一年四月に始まった「若い季節」。日曜夜八時台でしたから、現在の大河ドラマと同じ枠です。初めは前日に集まって稽古していたのが、台本が遅れるようになって、当日の午後一時にNHKで受け取るようになりました。

 それから本番までにセリフを憶えなくてはいけませんからみんな競争です。私はわりと憶えるのが早くて、回を重ねるごとにセリフの数がどんどん増えていきました。脚本家はセリフ憶えのいい人にたくさん押しつけたくなるものなんです。一回の放送で百以上のセリフがあったこともありました。しかも生です。

 それぐらいセリフを憶える時間がないのに、本番前にみんなでご飯を食べに出るんです。新橋に四川飯店があり、そこの料理が食べたくて食べたくて。“四川料理の父”と言われた陳建民さんが作ったお店です。ハナ肇さんが電話で注文して、日比谷にあったNHKから渥美清さん、古今亭志ん朝さん、坂本九ちゃんたちと走って行く。食べたら走って帰って、またセリフを憶える。みんな若かったからできたことですね。

 セリフ憶えがよくなかったのは、三木のり平さんと小沢昭一さんでした。

 のり平さんがすごいのは、初めから憶える気がなくて、あちこちにカンニングペーパーを置いたこと。オフィスのシーンでのり平さんに「課長、この書類にハンコください」と私が言ったら、ハンコを探しているように見せながら、実はお弟子さんが置いたカンペを机の上で探しているんです。私がアドリブで「もう少し要領よくできないですか」とからかうと、「余計なことは言わなくていいの。僕のことだから」とのり平さんが返します。そのうち「あった、あった」とのり平さんがカンペを見つけてセリフを話し出す。そんなアドリブがおかしくて、放送中に笑いが止まらなくなることもありました。

 のり平さんはセリフを忘れてもアドリブで何か面白いことを言うからいいですが、小沢昭一さんはセリフを忘れると黙ってしまう。ある喫茶店のシーンでは、私がセリフを言ったあとでずっと黙っているから、「あなたが言いたいのはコレコレってことでしょ。でも、私はこう思うのよ」と小沢さんのセリフまで言ってあげた。それでも「うん、うん」としか言わない。仕方なく、私が続けて「だったら、私はこういうふうに思う。でもあなたはこういうふうに思うだろうから、その場合、私はこう思うのよ」って、結局一シーンすべて私ひとりで話すことになった。それ以来、小沢さんはテレビドラマに出なくなりましたね(笑)。何年たっても私に「君には助けられたな」と言ってくださいましたけど。

 そうやって若い頃に鍛えられましたから、生放送でも舞台でもぼんやりしないで、自分がなぜここにいるのか、何をすればいいのかと常に意識します。アクシデントが起きたなら、自分で何とかしようと考える癖がつきました。

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