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【こんな夜にはクラシックギター】 平野啓一郎『マチネの終わりに』を巡って

7/3(月) 15:45配信

オーヴォ

 『マチネの終わりに』は、平野啓一郎(1999年に「日蝕」で第120回芥川賞受賞)が2015年3月から毎日新聞朝刊に連載し、2016年1月の連載終了時には“マチネロス”なる言葉も寄せられたほどに好評を博した恋愛小説である。2016年4月には単行本化されたが、純文学としては異例の一週間での重版出来、その後も増刷を繰り返し現在までに15万部超というベストセラーとなっている。また2017年3月には、豊潤な物語性を持った小説作品を顕彰する第2回渡辺淳一文学賞を受賞した。

 ストーリーは天才クラシック・ギタリスト蒔野聡史と国際ジャーナリスト小峰洋子の切ない“大人の恋愛”を軸とし、さらに文明と文化、喧騒と静寂、40代の苦悩、スランプ、PTSD、戦争、生と死、父と娘、師弟、嫉妬など、硬軟・大小さまざまなテーマが複雑に絡み合い、読者を魅了した。なお作品名にある「マチネ」(matinee)とは、「ソワレ」(soiree)とともにコンサートや演劇などの舞台公演で使われるフランス語が語源で、「マチネ」は朝・午前、「ソワレ」は夕方・日が暮れた後の時間を指す言葉に由来し、昼公演を「マチネ」、夜公演を「ソワレ」と呼ぶようになったものだ。

 2016年10月には、ストーリーの進行に合わせて作中に登場する数々のギターの名曲を収録したタイアップCDも発売され、こちらも好評を博している。

 小説とタイアップしたCDといえば、直近では第156回直木賞&2017年本屋大賞受賞の恩田陸『蜜蜂と遠雷』のコンピレーションアルバム(作中に登場するピアノ曲集)も発売されたが、『マチネの終わりに』のCDは演奏者が小説の主人公・蒔野のモデルと目されるギタリストの福田進一であり、蒔野と洋子を運命づけた「幸福の硬貨」という架空の映画音楽までが新規に作曲されて収録されたという念の入れようである(作曲者は気鋭の新進作曲家・林そよか)。

 また、作品に因んだ各種イベントも開催されている。

 2016年4月には現代美術作家10人による『「マチネの終わりに」作品展』が開かれ、オープニングには平野啓一郎×福田進一のトークショウも行われた(東京・渋谷ヒカリエ8/)。2017年1月には福田進一プロデュースによる『「マチネの終わりに」スペシャルコンサート』が、平野啓一郎×福田進一×林そよかのプレトーク付きで行われ、チケット完売の盛況となった(東京・Hakuju Hall)。

 直近では、2017年6月に開催された“京都岡崎音楽祭2017 KYOTO OKAZAKI LOOPS”で『「マチネの終わりに」を聴く-朗読会×ギターコンサート-』が行われ、1部は平野啓一郎&松川浩子アナ(毎日放送)の朗読と福田進一の生演奏、2部が平野啓一郎×福田進一トークショウで、こちらもチケット完売という人気ぶりだった(京都国立近代美術館ロビー)。

 さて、ギターを作中に登場させる作家といえば、逢坂剛(1943~)が思い浮かぶ。第96回直木賞(1987)を受賞した『カディスの赤い星』では、ギターとサントスなる謎のギタリストの因縁をスペイン内戦時の秘密に絡めて描き、また広告業界の裏側を描いたサスペンス『あでやかな落日』では、香華ハルナなる架空の女流クラシック・ギタリストを登場させ、ギターの名器や楽曲についてのかなり詳しい記述も織り込まれている。いずれの作品も、自らがフラメンコギターの名手でもある作者のギターへの造詣の深さが窺われ、登場するギタリストも物語のキーパーソンだったりするのだが、作品の性格もあってか主役の扱いは受けていない。

 その点『マチネの終わりに』は、おそらくはクラシック・ギタリストが主人公である初の小説である点も斬新で、当コラムの初回でも述べたようないささかマイナーな分野たるクラシックギターの世界が一気にクローズアップされたことでもあり、うれしい限りである。

 作中にはストーリー展開に合わせて数十曲のクラシックギター曲が登場するが、作者のギター音楽に関する知識と愛情にも敬服させられる。ちなみに平野は新たにクラシックギターを購入し、一時は執筆に影響が出るほど練習にのめり込んでしまったとのことである。

 平野はショパンを取り上げた『葬送』に次いで、音楽家を主人公にした小説を書きたいと考えていたが、旧知の福田によるバッハのCDを聴いて感動し、ギタリストを主人公にすることを決めて福田本人への情報収集を行ったという。

 その福田進一は、紛れもなくわが国ギター界の第一人者である。1955年大阪に生まれ、パリ留学中の1981年にパリ国際ギターコンクール(1959~93年まで開催された世界最高峰のギターコンクール)に日本人として3人目の優勝を果たした(他の2人は69年の渡辺範彦(故人)と77年の山下和仁)。83年に帰国後は世界数十か国でのソロリサイタル、オーケストラや他楽器・他ジャンルを含む一流奏者たちとの共演など、従来のクラシックギターの世界に囚われない幅広い活動で世界的評価を得ている。レパートリーの広さも驚異的で、CDも「生涯100枚録音」を標榜して現時点ですでに80枚以上に達している。教育者としても門下に鈴木大介、村治佳織、大萩康司などのトップギタリストたちを輩出。大阪出身だけにトークも絶妙で、指も回るが、頭も口も回る好漢である。



 以下は平野と福田のトークショウからの抜粋になるが、平野は、福田に対しては「この作品を最も読んでほしい一人であるとともに、読まれることが一番怖かった」と語り、いっぽうの福田も「自分と同じくパリ国際ギターコンクールで優勝したキャリアで、しかも自分より若くてかっこいい蒔野という主人公の人生が、不思議と自分とオーバーラップするのは今までにない体験。その意味でも自分は一番ハッピーな読者だと思う」。そして「蒔野が洋子にフラれて失意のあまり自殺する設定ではなくてよかったが(笑)、読んでいて、音楽家として『これは違う』という部分がなかったのもすごいと思った」。

 福田はまた「ギターぐらい色々なジャンルや世代的なものが交錯し、演奏家同士がリスペクトし合い、自由に楽しく交流できて、世界中で国際フェスティバルも開催されている楽器はない。ギターだけがいま生きている人の音楽を、いま作られている楽器で弾いていて、現在といちばん連動している開かれた楽器である」と、ギターの世界の幅の広さ、懐の深さを語っている。

 さてタイアップCDには、福田の名演による「アランフェス協奏曲第2楽章(ロドリーゴ)」、「イエスタデイ(レノン&マッカートニー~武満徹編)」、「無伴奏チェロ組曲第3番よりプレリュード(バッハ~福田編)」、「大聖堂(バリオス)」、「ガボット・ショーロ(ヴィラ=ロボス)」、「タンゴ組曲(ピアソラ)」、「幸福の硬貨(林そよか)」など、ストーリー展開に欠かせない名曲の数々が小説での登場順に収録されている(特に「幸福の硬貨」はこのCD以外では聴けないし、自分でも弾いてみたいという向きには現代ギター社から楽譜も出版されている)。

 もちろん文中のクラシックギター曲を知らなくても、小説を読むうえで支障はないが、曲を知って読めば楽しみはさらに深まるわけだから、読者におかれてはぜひタイアップCDとの“コラボ”をお勧めしたい。逆に小説とは関係なく単独のCDとして聴いても充分に楽しめるが、小説を読んでいないとすれば、ちょっともったいない気もする。

 読んでから聴くか?聴いてから読むか? ・・・いずれにしても『マチネの終わりに』が、あなたを素晴らしきクラシックギターの世界へと誘うガイドとなれば幸いと思う次第である。





PROFILE

宮林淳
Jun Miyabayashi

1956年東京生まれ。1978年上智大学卒業後、音楽とは無関係のメーカー勤務の傍らコンサート通いを続け、1980年代からクラシックギター専門誌「現代ギター」に記事を執筆のほか、ギター関連のCDのライナーノートやコンサートのプログラム解説なども手掛ける。 “日本一ギターのコンサートを聴いている男”を標榜してギターと音楽をこよなく愛し、2014年秋には、スペインのリナレスで開催された「第21回アンドレス・セゴビア国際ギターコンクール」のゲスト審査員も務めた。カーマニア、プロレスマニアでもある。

最終更新:7/3(月) 15:45
オーヴォ