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ダニー・クロファットはフレンチ・カナディアン――フミ斎藤のプロレス読本#036【全日本プロレスgaijin編エピソード6】

7/3(月) 8:50配信

週刊SPA!

 199X年

 フィリップ・ラファン――これがダニー・クロファットの本名だ。仲のいい友だちからはフィルと呼ばれている。

 クロファットという名を使いはじめて5、6年になる。はじめのうちはあんまりいい響きだとは思わなかった。どうしてかというと、他人が勝手につけたリングネームだったからだ。

 ある日、モントリオールの試合会場でなにげなくパンフレットに目をとおしたら、知らないうちに自分の名前が“ダニー・クロファット”にされていた。マッチメーカーをしていたリック・マーテルの仕業だった。

 それまで名乗っていたフィル・ラファイアーというリングネームは、あまりにもフランス人の香りが強すぎる。マーテルだ、ブラボーだ、ルージョーだと、このテリトリーはフレンチだらけだから、もっとウェスタン・カナディアンの色がほしい。

「きょうからキミはカルガリー出身のダニー・クロファットだからね」とマーテルはフィルに告げた。東カナダと西カナダは異なるふたつの文化圏、というのがごく一般的なカナダ人の認識である。

 カナダ・ケベック州モントリオールは、もともとフランス領だった土地だから公用語はフランス語で、テレビや新聞や雑誌は基本的に英語とフランス語のバイリンガル(2カ国語表記)。学校の授業はフランス語で、友だちとの会話は英語だったりする。

 この街の人びとは子どものころから自然にふたつの言語をしゃべっているから、10代になるころにはフランス語と英語の2カ国語を話すようになるが、フランス語がネイティブの家庭で育った人たちはフランス語アクセントの英語、英語がネイティブな家庭で育った人たちは英語アクセントのフランス語をあやつる。

 フランスから来たフランス人がモントリオールの人びとが話すフランス語を聞くと、それはケベック方言のフランス語で、その反対にモントリオールの人びとがフランス人が話すフランス語を聞くと、それはヨーロッパの標準語のフランス語に聞こえるのだという。

 また、モントリオールの人びとだけが使う、ケベック方言のフランス語とフランス語なまりの英語がごちゃまぜになったスラング的なローカル・ランゲージもある。

 プロレスの世界においても、フレンチ・カナディアンの白人人口が多いモントリオールでは、ドレッシングルームでの会話はだいたいの場合、フランス語で交わされる。

 リック・マーテルやディノ・ブラボーやジャック&レイモンドのルージョー兄弟らがフランス語で怒鳴りあっている光景は、アメリカ人レスラーの目にはやや奇異なものに映るらしい。

 まだデビューしたての新人だったころのトム・ジンクはモントリオールで修行を積んだが、このフランス語のののしり合いを毎晩のように聞かされているうちに、自分に対する批判がフランス語で変換されているのではないかと疑心暗鬼になったという。

 ダニー・クロファットに改名させられたフィルは、ある日、そのジンクとタッグを組むことになった。「カルガリーとミネアポリスのコンビはきっといいベビーフェースになる」とマーテルは自信ありげに語った。

 フィルにはその意味がよくわからなかったが、そのへんはあまり深く考えないことにした。プロレスラーとしてデビューしてから4年が経過しようとしていた。

 フィルの家は、父と兄の3人家族。父ギイさんはランバージャック、兄フェデリックさんも肉体労働者。典型的なブルーカラー・ファミリーとして育った。

 ギイさんは若いころはプロのサッカー選手で、19歳のときにパリからモントリオールに引っ越してきた。フィルの両親は、フィルがまだ幼いころに離婚した。

 ギイはふたりの息子たちにスポーツをさせた。フィルは中学、高校とアイスホッケーで活躍した。ホッケーは氷上の格闘技といわれ、よくゲーム中の乱闘で前歯を折ったり、鼻を折ったりした。

 学校の外ではよくケンカもした。そのせいでハイスクールを2校も退学になり、最後は規律の厳しい私立のミッション系スクールに通わされた。

 高校を出てからがまたひどかった。大学にも行かず、仕事もせず、あまりいい表現ではないけれど、いわゆるプータローの生活をしていた。趣味はウエートトレーニングと空手だけだった。残った時間は、地元の不良たちといっしょに過ごした。

 ある日、ギイさんがフィルに500ドルの現金をくれて、こう告げた。

「この金を持って町を出ろ。どこか別の土地に行って、最初からやり直せ」

 身のまわりのものをバックパックにつめて、フィルは家を出た。アルバータ州カルガリーに行くことに決めた。1982年ごろのカリガリーは、冬季オリンピック(1988年)の開催地に選ばれたことで街全体が活気に満ち、新しい人びとや新しいマネーが入ってきて経済が潤っていた。

 フィルはカルガリー市内のゴールド・ジムで受付の仕事についた。これだったらトレーニングしながらお金も稼げる。このジムの常連がダイナマイト・キッドとデイビーボーイ・スミスだった。

 いまとなっては信じられないようなはなしだが、フィルはキッドとスミスのことを知らなかった。それで「あんたたち、イイ体してるね。商売はなに?」なんて聞いてしまった。すぐよこにいたもうひとりの筋肉マンが、お前さん、怖いもの知らずだな、とでもいいたげに顔をしかめた。

 その筋肉マンはベン・バサラブという名のプロレスラーの卵で、のちにカナディアン・ルイスという変てこなリングネームでキッド&スミスの弟分としてデビューした。

 ジムにやって来るレスラーたちと仲よくなったフィルは、キッドからプロレス入りを勧められた。“カルガリーの父”スチュー・ハートを紹介され、ミスター・ヒト(安達勝治)と出逢い、いつのまにかハート道場“ダンジェン”の練習生になった。

 はじめのうちは15人くらいいた練習生が最後にはフィルとベンのふたりだけになっていた。

 フィル・ラファイアーという最初のリングネームは、フィルが自分で考えたものだ。フレンチ・カナディアンのアイデンティティーを大切にしたかったから、典型的なフランス名を名乗った。

 カルガリーでは約2年間、前座でがんばった。夏のあいだは東カナダのノーバスコシア地区のサマー・サーキットに参加した。同じ年の秋には第1次UWFの『ストロング・ウィークス』というシリーズ興行のツアー・メンバーに選ばれて初めて日本に行った。

 日本遠征のあとは、ジャック・スヌーカというレスラーに誘われてオレゴンに行ってみたが、試合中に左ヒザを骨折してしまった。いったんホームタウンのモントリオールに帰って治療に専念したが、どの医者もプロレスはもう無理と診断した。それでまた地元の不良と付き合うようになった。

 生活費をつくるために夜だけバーのバウンサー(用心棒)のアルバイトをするようになったが、ある晩、その店で友だちが酔っぱらいにナイフで腹を刺された。こんな生活をしていたら自分はダメになると思ったフィルは、すぐに次の日にディノ・ブラボーのオフィスに駆け込んだ。

 “フィル・ラファイアー”というレスラーがカルガリーのリングに上がっていたことを知っていたブラボーは、フィルをすぐに採用してくれた。ただし、マッチメーカーのリック・マーテルのアイディアで“カルガリー出身のダニー・クロファット”という別人に変身させられた。

 少年時代からフィルに「スポーツに打ち込め。スポーツ選手になれ」と励ましていた父親のギイさんは、ふらふらしていた息子がまたプロレスをはじめたことを喜んだし、フィルも2度めのデビューからプロレスが楽しくなった。

 ギイさんは、いまではフィルが日本から持ち帰るプロレス雑誌を1ページずつたんねんにながめるのをなによりも楽しみにしている。

「プロレスは、オレがいままでやった仕事のなかでいちばんまともなビジネスだ。プロだから、一生懸命やればいいお金が稼げる。いいスポーツだよ。いい選手に対してはフェアな世界だ」

 フィルは――日本で知り合ったダグ・ファーナスとカンナム・エキスプレスというタッグチームを結成して――プロレスラーとしての自分に大きな可能性を見出している。でも、ひとつだけ迷っていることもある。

 いつかはダニー・クロファットというリングネームを返上して、本名のフィリップ・ラファンとしてリングに上がりたいけれど、いったいいつになったらそのタイミングがやって来るのかわからない。

 フィルは、モントリオール生まれのフレンチ・カナディアンである。

※文中敬称略

※この連載は月~金で毎日更新されます

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

日刊SPA!

最終更新:7/3(月) 8:50
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