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“女子御三家” 女子学院の辞書に「つつましさ」ない! 注目のひまわり弁護士

7/4(火) 7:47配信

NIKKEI STYLE

 「女子御三家」の中高一貫校、女子学院(JG、東京・千代田)は、「個」を尊重する教育で知られる。そのせいか、卒業生には医師や弁護士、漫画家、キャスターなど、自立型キャリアを歩む人が目立つ。弁護士過疎地域の解消を目指すいわゆる「ひまわり弁護士」として注目を浴び、現在は、福島県で原発事故被害に対する支援活動を続ける松本三加弁護士(43)もその一人だ。

 弁護士になってから、母校から講演を依頼された。

 弁護士になって間もないころ、母校から何度か声を掛けてもらい、後輩の前で話をすることがありました。おそらく、私のキャリアの選択の仕方が個性的でいかにもJG生らしいということで、ロールモデルとして適任だと思われたのではないでしょうか。
 確かに、弁護士としての私のキャリアのスタートは、ちょっと変わっていました。
 弁護士試験に合格し、さらに2年間の司法修習を終えて、さてどの法律事務所に就職しようかと迷っていた時、東京都内のある法律事務所が「弁護士過疎地域へ赴任のこと」という応募条件を出しているのを見て、これだと思いました。
 当時は、日本弁護士連合会が弁護士不在の地域に弁護士を派遣する活動を始めた時期で、日弁連は各法律事務所を通じ、弁護士過疎地に赴任する弁護士を探していました。
 結局私は、東京で1年の修業ののち、2001年4月、北海道に赴任し、オホーツク海に面した紋別市に開設された「紋別ひまわり基金法律事務所」の初代所長に就任。27歳、結婚したばかりの夫を東京に残しての単身赴任でした。
 所長といっても弁護士は、新人弁護士の私一人。想像を絶する忙しさでしたが、あの2年間で、弁護士として相当鍛えられました。

 小学生のころは勉強のできる子供だった。

 本が大好きで、いつも本を読んでいました。おかげで、国語の試験で苦労したことはありません。将来は小説を書いたり文学の研究をしたりする仕事に就こうかなと考えた時期もありました。
 ところが女子学院に入ると、周りはすごい人ばかり。文章がものすごく上手な人も何人もいました。自分には文学的センスがないことを痛感し、文学部に進学する選択肢は早々に消滅。一方、理系も、物理で赤点を取りまくったので向いていないと判断。これはどうやら、経済学部や法学部など社会科学系に進む以外にないかなと考えていました。
 しかし、勉強のできる子が周りにいても、焦りとか、もっと頑張らなくてはという気持ちにはなりませんでした。大学受験の準備を本格的に始めた高2の秋までは、勉強した記憶も特にありません。それでも成績は、わりとよい方でした。女子学院は学内試験の順位は公表しませんが、英語と数学だけは成績順にクラス分けするので、自分が240人中、おおよそどれくらいの位置にいるか、何となくわかります。私はだいたい上の下でした。
 学校生活の中心だったのはクラブ活動。音楽が好きで、管弦楽班に入りオーボエを吹いていました。発表会に向けてみんなで一生懸命練習したのを覚えています。
 学校以外の生活も充実していました。例えば、友達とバンド活動もしていました。私はキーボード担当で、当時人気だった渡辺美里やレベッカの曲を、ライブでよく歌いました。あとは、冬休みにみんなでスキーに行ったり、夏休みに海外でホームステイしたり、男子校の文化祭に行ったり、男子校生とお付き合いしたり、青春を謳歌していましたね。

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最終更新:7/4(火) 7:47
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