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ホームレスに恋をして――「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(7)

7/4(火) 11:47配信

オルタナ

 華やかなネオンの谷間に沈んだようにして灰色のドヤ街はあった。女子大生の私は大学院に進み、ホームレス支援の活動を続けながら貧困をテーマに修士論文を書こうとしていた。ドヤ街もかつての荒っぽい労働者は老い、生活保護で暮らす福祉の街に変わりつつあった。雨が続くとドヤの男たちのために、教会が公園で炊き出しをする。私はそれを手伝った。
 むさくるしく、飢えた目をした男たちの中で一人だけ違う雰囲気をまとった男がいた。背が高く洗いざらしのジーンズでこぎれいにしている。男が持っている小さな鍋に雑炊を入れてやると、「ありがとう、うれしいな、お嬢さん。きれいな指をしているね」と明るい声が返ってきた。牧師が耳打ちした。「Qさんだよ。ホームレスのリーダー。私たちもずいぶん助かってるんですよ」。
 付近でホームレス襲撃事件があったのを機に、教会関係者が夜間パトロールを始めた。おにぎりや下着、歯ブラシを配りながら、ホームレスを市の自立支援施設に収容するのが狙いだ。大半のホームレスはおとなしく収容されたのだが、海岸近くの集団だけは抗った。そこのリーダーがQだった。風向きが変わり始めたのは、牧師が「教会でいっしょにカレーを食べませんか」と誘ったのがきっかけだった。
「牧師さん。俺たちを対等な人間として扱ってくれたのは、あんたが初めてだ」とQは言った。教会の慈善活動がホームレスを救ったと牧師も鼻高々だった。私が、初めてQに会ったのはそんな春浅い頃だった。
 しばらくして、ちょっとした事件が起きた。驚いたことに、QがNPOを設立したいと突然言い出したのだ。
「自分たちでNPOを作る? 君たちには、家もなければ金もない。できるわけがない。無理だ」。牧師はそう反対したが、NPO法人「あひるの子」は強引に旗揚げした。Qはしたたかだった。次に私たちを驚かせたのは、ホームレスが、カレーパーティーの会場となっていた教会の会議室を占拠したことだった。「俺たちには、NPOの活動拠点が必要だ」とバリケードを築いて立て籠もったのだ。
「皆さん、聞いてください。ここは教会の施設です。直ちに退去してください。お願いします」
 市の職員までが動員され、汗をかきながらマイクでがなり立てた。騒ぎが新聞に載ると、市民の間から、弱い者イジメはやめろとの声が高まり、板挟みになった職員が自殺した。市は窮地に陥ったが、アメリカンクールが三百万円の寄付を申し出、ホームレスたちは街の空き家を借りた。
 私は、「あひるの子の家」という大きな看板の前で気持ちよさそうにたばこをふかしているQを見かけ、声をかけた。
「Qというのは何かの頭文字ですか」
「美羽さんには、特別に教えちゃおうかな。僕の名前は、『久』と書いて『ひさし』というんだ。キュウと読めるでしょう。だから、Qというわけ」
 Qの話は支離滅裂でまとまりがなかったが楽しかった。
「若いころはちょっとした会社を経営していたんだ。ところが、総会屋に乗っ取られてしまってね。一文無しで放り出され、気がついたら、ホームレスってわけ」
 いま思えば、そのころから、Qという得体の知れない男の魔力に取りつかれ始めていたのかもしれない。
 夏の夜。涼を取ろうと外へ出たらQがとぼとぼと歩いている。何となく跡をつける形になった。Qは川岸に降りて行く。暗闇の中にロープでつながれた廃船があった。その中へ入っていく。中でランプがともった。私は思い切って足を踏み入れた。
「あんた、か・・・」
 船内はきれいに整頓されていたが、すえた匂いがした。
「人は孤独だ。みな一人で生きている。やがて集団を形成し役割分担をしていく。それは必要なことだ。しかし、人を束縛する。その束縛から逃れ自由に生きるにはどうするか。反日常、反社会的な生き方をするしかない」
「だから、Qさんは廃船に住んでいるの?」
「この街で死に有機肥料になること。それが僕の夢なんだ」
 Qは憑かれたようにしゃべり続けた。朝になって、私はQに抱かれた。
急に冷え込む日が続き、私は風邪を引いた。大谷クリニックで診察が済むと、先生は改まった調子で尋ねた。
「美羽ちゃん、Qさんと暮らしてるの?彼のことどこまで知ってるのかな」
「名前が、ひさし、ということくらいかしら」
「ひさし? ああ、それは本当の名前じゃない。海岸で拾ったサンダルに『久』と書いてあった。それを頂戴した名前さ」
 大谷先生はQが若いころ書いたという本を貸してくれた。恐る恐るページを開いた。Qは九州の弁護士の息子で、小さいころから放浪癖があった。大学入試の失敗で精神的に病む。ある時、地元でとった百匹のカブトムシを段ボールに詰めて上京。銀座へ行き、歩行者天国のど真ん中で段ボールを開けた。銀座の空に一斉に飛び出すカブトムシの雄姿を夢見たのだ。残念ながら長旅ですっかり弱ったカブトムシは、箱の中で縮こまったまま。読んでいては笑いが止まらなくなった。そして、Qのことがさらに好きになった。
「美羽、おまえ、ホステル経営をしてみないか」。ある日突然、Qからそうもちかけられた。
「最近はドヤも孤独死ばっかりだ。年寄りが亡くなった空き部屋に海外からのバックパッカーを安く泊めるんだ」
 驚いたことに、このアイデアが当たった。死にかけていた街に外国人や若者が新たな息吹を吹き込んでくれた。そのころからだった。Qの悪いうわさが私の耳に入るようになった。ホームレスが市からもらっているパン券を暴力団に横流ししているといった類の話だ。軌道に乗り始めていたホステルからの売上金を持ち出そうとした時は、私も逆上し、Qを激しくなじった。Qは真っ青になり、包丁を持って追いかけてきた。殴られ気が遠くなりかけた時、誰かが止めてくれた。警察だった。Qはそのまま、街から姿を消した。あとで何人もの女から金を借りていたことがわかった。
 困って大谷先生に電話すると「Qさん、癌なんだ。知らなかった?手術のためのお金が要るんだよ」
 やがて私は街を出た。雪が降っていた。真っ白な新しい道が私の前にできていた。

(完)

希代 準郎
作家・ジャーナリスト
愛知県生まれ、上智大卒。日常に潜む闇と、そこに開ける不安と共感の異境の世界を独自の文体で表現しているシュートショートの新たな 担い手。この短編小説の連載では特にNPOという新たな動きに注目、そこに関わる群像を通して、生きる意味、生と死を考える。

最終更新:7/4(火) 11:47
オルタナ

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