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風呂に入れさせてもらえないか──ウガンダの難民キャンプで

7/4(火) 17:30配信

ニューズウィーク日本版

<「国境なき医師団」(MSF)を取材する いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャ、マニラで現場の声を聞き、今度はウガンダを訪れた>

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く 」

まえがき

この連載でいつも使っているのがカタール航空だし、俺が気にし続けている男もまたその機内に最初現れたのだった。

それがカタール自体、アラブ諸国の中での孤立を突如深め、今ではアラビア半島の上を一列にしか飛べないありさまだ。

ここ数日のことである。

どんどん世界が変わっていってしまう。

緊張の方向へと。

その中で、彼はどこから俺を見ているというのだろうか。

遠きインベピ

インベピ・キャンプはまだ新しく、いかにも建造されつつある難民居住区で、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と印刷された銀色の遮光防水シートで出来た四角いテントがあちこちにぽつぽつと立ち、ある場所は金網で仕切られていて上に鉄条網が張り巡らされていた。

水を運ぶタンク車がその金網の向こうに止まり、イギリスの貧困克服援助団体OXFAMのビブスを付けた人が行き交っていると思えば、セーブ・ザ・チルドレンがテントを構え、その間を多くの難民らしき人々が、特に女性であればほぼ必ず頭に水の入ったポリタンクなど乗せて歩いている。

国連(UN)を中心として、複数の人道団体がそれぞれの支援を進めているのだ。広大なビディビディ・キャンプでさえさばききれない数の難民が移動してきているからである。

「ニイハオ!」

という声が俺たちの車にかかった。

「ノー、ジャパニーズ! コンニチワ!」

と広報の谷口さんは返し、手を振る。

金網の向こうに南スーダンから来たのだろう、若いアフリカ人たちがいる。近郊のダムでは中国資本で大工事が行われていが、南スーダンの方でもやはり中国資本の大規模インフラ整備が行われているとのことだった。

周囲にはいつの間にか、さっきまであれほどあふれていた緑がなくなり、木々があっても葉が枯れているケースが多くなっていた。谷口さんがのちに教えてくれたところによると、ウガンダも北に行くにつれて枯れ木が多くなり、さらに南スーダンに入ればもっと土が乾くのだという。

砂煙の舞うインベピ・キャンプは、俺には突如あらわれた荒涼とした西部劇の町のように見えた。やがてボサの運転する車はそこが目的地でなかったとわかって元来た道を引き返したが、だからといって標識などひとつもなく、ただ枯れ草の間をすかし見ながら進む以外ない。



外来診療施設へ

と、しばらく迷った末に俺たちはUNHCRの銀シートを張り巡らしたひとつの施設に着いた。聞けば、全体をUNが作り、その中での外来診療の一部を『国境なき医師団(MSF)』が受け持っているのだった。

細い木材とシートで作られた即席の診療所。俺たちが着いたのがもう夕方近かったから診察は終わっていたけれど、中にいる医療スーパーバイザーの現地人モハメッド・アヌレが一緒に施設を巡り、くわしく説明してくれることになった。

6人の現地スタッフで運営されているその場所もまたMSFだけでなく、『メディカルチームズ・インターナショナル』という組織の7人との共同事業になっていた。

待合室(とはいえ、もちろん風吹き抜ける場所だ)があり、診療室が2つ、妊産婦ケアの部屋、ワクチン関係の調査室、栄養失調専門の部屋、データルーム、運び込まれた患者の経過観察のためにベッドが2床置かれた部屋などがある。それらがすべて木の板とシートで簡易的に作られ、廊下をつなぐような形で建て増しされているのである。

1日で診る患者は150人から200人。緊急に出来た診療所としてはてんてこまいの忙しさだろうと思った。しかし、入り口の待合室あたりには仕事を終えた若い女性スタッフたちが3人いて、おしゃれな髪形のままMSFのビブスを装着しておしゃべりなどしている。実になごやかなムードがあった。

オシャレさんたち

近づいて質問してみると彼女らは、南スーダンの言葉を翻訳する係で、これまでの取材地でもたくさん出会ってきた文化的仲介者という役割も担っているのだろうと思われた。明るい彼女たちは漆黒の肌を美しく光らせながら、よく笑った。

ふと気づくと、俺の前に一人の老人が近づいてきていた。木を削った杖を右手によたよたしている。何か懐かしい気がしたのは、少し恥ずかしげにする姿、それでいて人懐っこさも見せるかすかな笑顔が俺の父親に似ているように感じたからだろうと、今は思う。



ダウディ・コーヨという男性で77歳。南スーダンのカジュゲジというところから、1か月前に歩いて国境を超えたのだという。木のベンチに座って話していると、老人というよりダウディおじさんといった方がいい若さがあった。

「ここに移れてよかったですね」

「ああ、それはそうだが、もう1カ月だよ。向こうではおいしい物を食べていたが、ここじゃ毎日豆だ。豆、豆、豆」

おじさんは愚痴を言った。3人の女の子たちは笑った。彼女らに聞こえるように言った愚痴だったからだ。

「どこから?」

「日本です」

「......日本」

おじさんは遠い目をした。悲しい表情だった。見ると瞳が青灰色をしていた。まるでわからないところから来た人間に、自分は何を言うべきか混乱したのではないか。

それでも、おじさんは現れた時から肩にかけていた小さなバッグを開け始めた。身元証明書のような書類と一緒に入っていたのは衣服のカラーで、若い女性たちの翻訳の助けを得て、それを作るのがおじさんの仕事だったのだとわかった。たったひとつだけを、彼はバッグに入れて逃げてきたのだった。

そしてもうひとつ、荷物があった。

聖書である。

「私はアングリカン教会派のキリスト教徒だからね」

ダウディおじさんはそう言ったあと、シェーファーがどうのこうのとつぶやいたのだが、その時の俺には何もわからなかった。ひょっとするとフランシス・シェーファーというキリスト教保守派の牧師に関するおじさんの意見かもしれない。

ともかくダウディさんは俺がスマホを向けると、この世での平安を訴えかけるかのような表情で聖書を掲げ持った。それまできょろついていた目がしっかりとカメラを見る変貌に俺は驚いた。信仰への信念と、現在の状況への疑念がふたつとも伝わってきたからだ。



おじさんはクロックスのような靴を履いていた。その中の右足の小指が痛んで仕方がないんだと、俺に見せて訴え始める。たまたま俺も数か月同じ場所に痛みがあり、靴とこすれないように樹脂製の小さなパッドを貼っていた。なのでおじさんに靴を脱いでもらい、俺の足のやつを貼って、

「これできっと大丈夫」

と俺は請け合った。請け合う以外、どうすることも出来なかったのだ。



するとおじさんは両手で何かをすくって肩にかける仕草をしながら、聞き取れない単語を繰り返す。聞いていた3人の女性陣も、それをよりきれいな発音で伝えようとするのだが、いかんせんよくわからない。

「ウェア・ユー・ベーシング?」

何度も聞いてようやく、どこで風呂に入っているのかと俺に聞いているのだとわかった。しかし意図はまだ不明だった。俺はとりあえず答えた。

「遠くのカラテペです。11時間くらい行ったところの」

するとダウディおじさんはがっくりと肩を落とし、首を弱々しく振ったあと、もう一度何かを振りしぼるように顔を上げた。

「今日はどこで入るんだ?」

「えっと、たぶんビディビディまで行って、MSFの施設かどこかで、だと思いますが」

おじさんはビディビディと聞いてまた悲しい目をしたが、そのまま俺を見つめて嘆願した。

「わたしもその風呂に入れさせてもらえないか。ずっとまともに体を洗っていないんだよ。君と一緒に移動して、そこで入れればどんなにありがたいか」

俺は答えに詰まった。ビディビディまで1時間以上かかるはずだった。そこからこのインデピまで戻る時間もおそらくない。それどころか自分がどんな場所に宿泊するのかさえ、本当のところ知らなかったし、そこにシャワーがあるかどうかも不明だった。谷口さんに聞こうにも、彼女はどこか別の場所で別のインタビューをしていた。

「出来ません。すいません。遠いんです。つれて行けないんです」

女の子たちもそこには一切口を出さずにいようとしていた。俺はおじさんの目をずっと見ているつもりだったが、その充血した青灰色の目が心の底からの願いを訴えているのがわかるだけに、とうとう下を向いてしまった。

「すいません」

もう一度そう言うと、おじさんもまたもう一度言った。

「ずっとまともに体を洗っていないんだよ」
と。

俺は黙ってうなずくしかなかった。



5人の子供を連れて

おじさんの横から立ち上がり、谷口さんを探すと違う施設の前で女性患者に話を聞いていた。患者の手の中には頭蓋骨の少し変形した幼児が抱かれていた。そっちはそっちで離れることの出来ないインタビューだったのだ、とわかった。

女性患者はジェーン・キデンと言い、二十代前半だと思われた。厳しい表情で黙っている彼女の代わりに谷口さんがそれまでの話を教えてくれたところによると、ジェーンさんは先週の木曜日にやはりカジュケジからウガンダへと逃げて来たのだった。彼女の場合、国境まで2週間かかったそうだった。

住んでいた場所を襲撃され、殺されるか彼らについていくかしかなくなり、逃げる以外に選択がなかった。市場も何も破壊され、生活の方法も奪われていた。

だからこそ5人もの子供をつれて、彼女はウガンダへと越境し、今は「タンク32」(水を補給するタンクの数字が彼ら難民の住所なのだ)にいる。まず何よりも体調を崩した子供の回復を願い、それがかなったら元の南スーダンに帰りたいと彼女は厳しい表情を崩さないまま俺たちに言った。

俺はしばらく沈黙していたあとスマホを取り出してジェーンさんの横に座り、カメラをセルフの方に切り替えてモニターを見せた。そこには俺とジェーンさんが映っていた。

それを見てジェーンさんは驚きながら笑った。俺もその声を聞いて思わず笑った。

写真はその瞬間のものだ。

彼女が笑ったほんの一瞬間の。

ジェーン

さらばインベピ・キャンプ

外来診療施設から車で移動する時も、ダウディおじさんは入り口のあたりに立っていた。まだ望みを捨てていなかったのかもしれないし、他にするべきことがなかったからかもしれない。ともかく俺はおじさんと目を合わせられないように思い、目を伏せていた。

けれども本当に車が動き出した時、そのままではすまないと考える自分がいた。窓から身を乗り出すと、すでにおじさんは俺を見ていた。俺は頭を下げた。おじさんはぎこちなく笑い、そうかやっぱりつれて行ってはくれないんだなと伝えているような顔をした。俺はもう一度今度は挨拶でなく謝るように頭を下げ、それから彼の目をしっかり見て手を振った。

おじさんはうなずき、やっぱり手を振った。顔が笑っているのが不思議だった。だが彼を背後にして車が砂ぼこりを上げて走り出すと、ダウディおじさんはああやって笑いながらたくさんのことを諦めてきたのだとわかり、もう誰も自分を見ていないのに車内で目を伏せた。

いや、本当に誰も見ていなかったろうか。

自分が自分を見ているその他に?

続く

いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

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