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藤井四段が研究、大名人vs“新宿の殺し屋”の伝説的棋譜

7/5(水) 16:00配信

NEWS ポストセブン

 デビューからの連勝記録は29でストップしたものの、前人未到の大記録を達成し、日本中に将棋ブームを巻き起こしている藤井聡太四段(14)。彼の学んだ数多の棋譜のなかには、棋界の“正史”には刻まれていない“異色の一局”があった──。

 1981年5月31日。東京・千駄ヶ谷にある将棋会館で、その対局は行なわれた。“真剣師”と呼ばれた伝説のアマチュア棋士・小池重明と15世名人・大山康晴(当時は王将)の「プロ・アマ角落ち戦」である。

 先月26日に史上初の29連勝を達成した藤井四段も、幼い頃からつけていた「将棋ノート」にこの一局の棋譜を書き記していたという。

 藤井四段が5歳から通い始めた「ふみもと子供将棋教室」(愛知県瀬戸市)のオーナー・文本力雄氏が語る。

「棋界には、過去の棋譜の指し手を予想する『次の一手問題』という訓練があります。プロ同士の棋譜を教材にすることが多いですが、藤井君が小学校低学年の頃に、教室で小池重明と大山名人の対局を研究したのです。熱心に答えを書いたノートは、今も大切に持って見直しているようです」

 小学校低学年にして伝説の対局から何かを学び取ろうとしていたというのだ。

◆「将棋って、こう指すもんだろ?」

 1992年に44歳の若さで世を去った小池が伝説と称されるのは実力だけではない。当時の小池をよく知る棋界関係者が振り返る。

「とにかく破滅型の人間で、素行の悪さから将棋の師匠に破門された人物でした。年齢制限規定などに例外を設けてのプロ編入が持ち上がっても、素行が問題になって話が流れてしまうほど。当時は大らかな時代で、小池はプロ相手に真剣(賭け)を挑んでカモにしていた。荒れた面もあったけど、対局中は独特のオーラを放っていた」

“真剣師”とは、賭け将棋で生計を立てる人物の呼び名だ。並み居るプロ棋士を次々と倒したという小池には“新宿の殺し屋”との異名までついた。

 アマ名人などのタイトルも獲得するようになり、“史上最強の名人”と称された大山との対局が実現した。小池33歳、大山58歳の時のことである。

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