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ディスコ文化とモテを振り返る――“聖地”六本木スクエアビル、マハラジャ、ゴールドそしてジュリアナ東京

7/5(水) 15:50配信

週刊SPA!

 バブル前夜に多感な10~20代を過ごした人たちがあのころの思い出に浸るとき、テッパンとして、つい盛り上がってしまうのが「ディスコ」ネタ。とはいえ、さすがにもう30年近くも前のうろ覚えゆえ、誰も彼もが口にする時代考証は案外あやふやだったりする。そんなわけで、とりあえずは点在する記憶を整頓し、「ディスコの歴史」を時系列に沿って振り返ることからはじめてみよう。

 まず、80年代最初のディスコブームは、1980~1984年のムーブメントで、別名「サーファーディスコブーム」とも呼ばれていた。

 まだ有名ディスコの数々が新宿や渋谷という従来の繁華街に乱立していたなか、「ネペンタ」や「ギゼ」などがあった六本木スクエアビルが“聖地”とされ、多くの店が「男性客のみ入店不可」を掲げていた。同伴できるギャル(当時は若い女性のことをすべてひっくるめて「ギャル」と称していた)がいない男は、エントランス周辺で「お願い! 一緒に入るだけでいいから!!」とナンパに勤しみ、チークタイムを過ごせる新たなギャルを捕獲するため、店内を徘徊しまわっていた。

 もちろん、独壇場とばかりにモテまくっていたのは、ガングロ・口ヒゲ&長髪マッシュルームカットのサーファーだけで、ディスコにおける「モテる・モテない」のヒエラルキーがやんわりとではあるが、このころから確実に形成されつつあった。

 そんな、どこかやさぐれていてアウトローだったこれまでのディスコのイメージをガラリと変えたのが、1984~1988年のディスコブーム。曲調はソウルからユーロビートがメインとなり、ここで登場するのが「マハラジャ」である。

 マハラジャがつくった「新しいディスコ文化」とは、誤解を恐れずに表現すれば「差別の文化」である。店側がファッションを基準に客を選ぶドレスコードに、モデルや芸能人などのフリーパス制。「お客さま、その服装はちょっと……」と、入店の是非の命運を握る黒服に向けられる羨望のまなざし。運良くお眼鏡にかない、「通行」を許可されてもVIPルームという、さらなる選別のふるいが立ちはだかってくる。

◆ディスコとクルマの必勝ナンパセット

 マハラジャがあった麻布十番は当時、六本木駅から徒歩で10分以上もかかる場所にあった。その不便さが皮肉にも「ディスコに高級車で乗りつける男」「タクシーで乗りつける男」「とぼとぼ歩いてくる男」という貧富の差を生み、BMWの3シリーズですらギャルからは「六本木カローラ」と揶揄される偏ったステイタス感覚が根付いていった。

 日々の夕食を吉野家の牛丼でしのぎながら、5年ローンで中古の外車を買う「なんちゃってリッチマン」が、上から下までハウスマヌカンにコーディネイトしてもらったブランドスーツをぎこちなく着こなし、おどおどしながら街を流す時代でもあった。当たり前の話だが、バブル景気だからといって皆がその恩恵を受けていたわけではないのだ。

 さらにディスコへクルマで乗り付ける「モテ仕様」の定番化と伴い、ディスコは「もっと不便な場所」へとテリトリーを広げていく。これが1988~1991年に起こった「MZA有明」「サイカ」「ゴールド」などで知られるウォーターフロントブームへとつながっていくのであった。

 ちなみにディスコブームの代名詞「ジュリアナ東京」がオープンしたのは、バブル崩壊の年とされる1991年。メディアでは「バブルの象徴」として取り上げられがちだが、正確ではない。お立ち台をはじめとするマハラジャがつくりあげたディスコの概念を曲解し、ただデフォルメしただけの「バブルの徒花」――。それがあの乱痴気騒ぎの正体だったのではなかろうか。

◆カフェバーと「女殺し」のカクテル

 ディスコ、クラブといった「大音量の音楽でダンスに興じるスポット」がデートよりむしろナンパに向いているのは、今も昔も変わらない。ならば当時、ディスコで奇跡的にゲットできたギャルと「しっぽり関係をあたためるスポット」だったのが「カフェバー」である。

 諸説あるが、カフェバーブームのはしりとされているのは、1980年代初頭に西麻布でオープンした『レッドシューズ』。あと、人気を集めていたのは渋谷の『ソーホーズ』、表参道の『キーウエストクラブ』あたりで、オリジナリティを競い合う凝った内装と深夜営業を売りとし、ウブな大学生カップルからディスコでできあがった即席カップルまで、幅広い層の男女で連日賑わいを見せていた。

「アルコールもコーヒーも軽食もケーキも楽しめる」スタイルは、悪く言ってしまえば中途半端でもあったが、その「なんでもあり」なマルチ感と、「カフェバー」なる健全と淫靡が絶妙に同居する耳新しい響きが、バブル前夜の空気にはマッチしていたのだろう。さまざまな経緯でここへと辿り着いたカップルたちの下心と駆け引きが錯綜するカフェ風のバー(バー風のカフェ?)は、まさに「カオス」と呼んで相応しい独特のオーラがただよう空間であった。

 色とりどりのカクテルが世に出まわり、ポピュラーとなったのもちょうどこのころ。もちろん、大半の男がカクテルに込める目的は「ギャルにモテること」、ひいては「酔わせること」で、見た目がオシャレだったり派手派手しかったり可愛らしかったり、口当たりがいいくせにじつはアルコール度数が高かったりするカクテルの情報交換が、男の間では「イケる」と、ギャルの間では「危ない」との触れ込みで、活発に行われたものである。

 たとえば、あくまでアダルトを気取りたいなら「マティーニ」や「マンハッタン」。奇抜な色で攻めるなら「ブルーハワイ」か「メロンフィズ」、あるいは「バイオレットフィズ」。お酒があまり飲めないギャル用には、牛乳みたいに白くて甘い「チチ」も需要が高かった。そして、「もう一歩踏み込んだ深い関係」を目論む男にとっての最終兵器だったのが、アルコール度数を容易に調整できた「スクリュードライバー」と「モスコミュール」。あのマイケル富岡氏のような達人クラスが好んで“使用”していたという「ロングアイランドアイスティー」も忘れてはならない。

 思い起こせば、「健康にいいから芋焼酎」なんてことを言い出す輩は一人もいなかった。ただひたすら「モテる」ため、すべての体力、知力、エネルギーを惜しげもなくギャルに注いでいたあのころの男たちは、目の前にぶら下がっているニンジンを遮二無二追いかけ、松田優作ばりのくわえ煙草で、吐くまで飲みながら、ある意味マゾヒステックに己の身体を痛めつけていたのだ。

文/山田ゴメス 写真/産経新聞社

日刊SPA!

最終更新:7/5(水) 15:50
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