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古谷経衡氏 東京・下町を歩き、公明党の「今昔」を思う

7/6(木) 16:00配信

NEWS ポストセブン

 めまぐるしく風向きが変わった都議選だった。国会の混乱でイメージ低下を招いた自民党。公示間際に築地・豊洲共存プランを発表した小池百合子知事と、彼女が率いる都民ファースト。こうした「変数」に流されず、安定した選挙戦を展開したのが公明党である。評論家・古谷経衡氏がその“力の源泉”を歩いた。

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 今次都議選で最も公明党が重視した「超重点7選挙区」のうち、私がとりわけ注目したのは荒川選挙区である。東京の典型的低地帯、下町を形成してきた荒川には、高度成長時代に農村部から大量に流入し、学会に入信した大量の「公明票」が存在する。

 隣接する足立区、北区を含めて(国政では東京12区、太田昭宏前代表の牙城)、東京東部における荒川への公明党の拘りは格別のものがある。江戸城の築城で知られる太田道灌の銅像を背景にして、同党から立候補する新人「けいの(慶野)信一」候補のJR日暮里駅での街頭演説に、同党代表・山口那津男が駆け付けたのは、都議選の公示直前であった。

 慶野候補は、公明=学会の典型的な理想像を具現化したような候補だ。荒川・町屋の地元に生まれ、実家は町工場経営(金属加工)。大卒後は太田昭宏の秘書を務めた経歴を持つ。テレビ画面で見るよりも一回り小柄な印象を受ける山口は、ずんずんと街宣カーによじ登ると、慶野候補を「油にまみれ、汗にまみれ、地域と共に頑張ってまいりました」としきりに紹介する。創価学会名誉会長・池田大作の掲げた「大衆と共に」という理念を、その人生において体現したようなプロフィールを持つのが慶野候補である。

 会場となった日暮里駅東口には、黒山の人だかりができ、山口の演説に熱狂する。地元、荒川に根を下ろす公明党支持者だろうか。皆、特段の特徴もない、まさしく「大衆」と呼ぶに相応しい市井の人々である。

 社会学者・鈴木広が1960年代に福岡県における学会員の素性を調査し、彼らを「都市下層」と評したのは有名である。敗戦の混乱期を乗り越え、1950年代中盤以降、農村部から大量に大都市に流入してきた零細商工自営業者、工場労働者などの、地縁や人脈を持たない孤独な農村出身の低所得者を中心に学会員が広がりを見せている、とした。

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