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世界的ファッションデザイナー・コシノヒロコが語る「スタイル」の作り方

7/6(木) 11:00配信

文春オンライン

海外への「盲目的な憧れ」が蔓延していたバブル時代

 人が何かに憧れる。そうなりたいと願う。その根本にあるのは、「無いものねだり」、自分に無いものを求める欲望です。昔から、日本女性は海外の美しい女性たちのファッションや生き方を羨望の眼差しで眺め、憧れてきました。

 憧れること、それ自体は決して悪いことではありません。自分たちが持っていないものを賞賛し、取り入れるべきものは取り入れる。その柔軟さと素直さは、いい人生を送るために、欠かせないものだからです。しかし、それに溺れてしまう、つまり盲目的に何でもかんでも取り入れようとしてしまってはいけません。

 バブル時代は、そういった意味での「盲目的な憧れ」が日本中に蔓延してしまっていたように思います。

 ルイ・ヴィトンのあのモノグラム模様の入ったバッグが欲しい。エルメスのバーキンを持ちたい――そんな「ブランド信仰」に多くの日本女性がとらわれていました。

 私は、ブームの前からルイ・ヴィトンやエルメスが好きで、よく買っていました。その頃はまだ自分で鞄をデザインしていなかったこともあって、海外に出かけるたびにヴィトンのバッグを買っていたくらいです。でも、あれを持っていればお金持ちに見られる、流行に乗って見えるといった動機で我先にブランド品を買い求める彼女たちの姿に疑問を持ち、ある時、もう持たないと決めたのです。

日本女性は独自の「スタイル」を確立できていない

 そんな時代を経て、最近の日本では、外国に対する「憧れ」が徐々に薄らいできていると感じます。いまの若い日本女性は、西洋に対して強烈なコンプレックスを抱いていた時代と違って、体型でも決して外国人に引けをとらないような人が増えてきました。足は長くなり、顔は小さく、胸も大きくなった。必然的に、日本女性も、国際的なレベルのおしゃれを楽しめるようにもなってきました。

 それでも、日本女性が海外に憧れるという基本的な風潮に変わりはないようです。その理由の一つは、一人一人がそれぞれ独自の「スタイル」を確立できていないことにあるのではないでしょうか。

 街を歩いていても、たしかに奇抜なファッションの女性もいます。でも彼女が、本当に自分の個性を理解した上で着ているのかどうかは、よくわからない。さすがにバブル時代のような極端なことはありませんが、どこか画一的で、周囲や流行になんとなく流されて服やアクセサリーなどを買い求め、身に着けている子が多いなとは感じます。

 自分が何者なのかを客観的に眺めて考え、自分に合ったものを主体的に選んで身に着ける――。こうしたことが、日本人はまだ苦手なのかもしれません。

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最終更新:7/6(木) 18:57
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