ここから本文です

1軍の舞台を目指して、大木貴将が駆ける夏【マリーンズドキュメント】

7/6(木) 12:00配信

ベースボールチャンネル

 千葉ロッテマリーンズの大木貴将は、進退をかけた2015年のドラフトでNPBへの切符を掴んだ。2シーズン目を迎え、1軍昇格に向けて汗を流す日々が続いている。

井口資仁、7つの偉業。30本40盗塁に自由契約でMLB、そして…。球史に残る内野手の歴史

■緊張のドラフト会議、ほっとした育成1位指名

 名前を呼ばれなかったときには、潔く野球人生を終えよう。2015年、香川オリーブガイナーズ3年目の内野手、大木貴将は決意していた。

 目標はNPBにたどり着くこと。運命の日まであと数ヶ月となった夏、依然として気を緩めることは許されなかった。球場にやってくるスカウトの視線を意識しないはずがなかったし、独立リーグで通用する以上の力をアピールしないと意味がなかった。

 凡打でも全力疾走を怠らず、盗塁は相手に察知された上でも成功するぐらいでないといけない。持ち味の俊足を生かすことに重点を置き、目の前の試合に臨んだ。

 確固たる信念は、右肩上がりの数字が示していた。入団1年目は32試合で40打数8安打(打率.200)2打点2盗塁。2年目は63試合で131打数32安打(打率.244)9打点18盗塁。3年目は68試合で248打数81安打(打率.327)12打点43盗塁、首位打者と最多盗塁のタイトルを獲得した。

 秋になり、人生を左右するドラフト会議が幕を開けた。球団関係者と報道陣が集まる部屋に机と椅子が並べられ、大木を含む指名の可能性がある4人はテレビ中継画面に釘付けだった。選手たちの切実な祈りとは裏腹に、誰の名も呼ばれないまま時間が経過していく。

 最初に夢を叶えたのは、埼玉西武ライオンズから10巡目指名を受けた松本直晃だった。素直に仲間を祝福しながら、大木は胸の内に焦りが湧いていくのを感じていた。

 数十分後、その名を呼んだのは、出身地として縁のあるチームだった。育成ドラフト1位で千葉ロッテマリーンズが大木との交渉権を獲得。長時間の緊張に疲れを感じずにはいられなかったが、全てを終えて周りを見れば、皆が安堵していた。結局、4人の選手全員がNPBへの切符を掴んだ。

「すごく緊張しました。その年は良い成績を残していたけれど、どんどん進んでいくにつれて(自分の指名は)どうなるんだろう、もう無いかもしれないと思ってきて……。呼ばれた瞬間は、嬉しさよりもほっとした気持ちでした。ドラフトにかからなかったら野球を辞めると決めていたので、(入団が決まって)家族も喜んでくれましたし、友人や応援してくれた人たちに少しでも恩返しができたのかなと思います」


■念願の“NPB”のロゴ。背番号2桁の喜び

 2016年、ユニフォームには“NPB”のロゴマーク。育成契約でマリーンズの背番号“121”を付けた大木の次なる目標は、支配下選手登録だった。規定により、育成選手は1軍公式戦に出場できない。大木は大半の時間を2軍球場で過ごすことになったが、俊足ぶりをアピールすべく躍起になった。

 新人合同自主トレの短距離走ではトップを譲らず、春季キャンプの打撃練習では「育成選手とは思えないほどだ」という周囲の声も多かった。2軍選手が1軍球場で試合をする“親子ゲーム”では、盗塁を記録して1軍首脳陣に直接アピールしてみせた。

 支配下選手登録期限が迫った7月28日の夕方のことだ。ロッテ浦和球場の監督室に呼び出され、山下徳人2軍監督(現・1軍打撃コーチ)から知らせを受けた。

 翌7月29日付での支配下選手登録。隣には同じく育成契約の同期である柿沼友哉がいた。自分たちの行く末について不安や希望を共有することもあったから、2人は存分に喜び合った。

 育成を意味する3桁の背番号のユニフォームを脱ぎ、大木の背番号は“68”に変わった。これからもずっと忘れられない真夏の出来事だった。


■しっかり数字残して、今年中には1軍に

 あれから約1年、2017年はひたすら1軍を目指す日々だ。現在も2軍生活が続いているが、内野手登録ながら二塁手と遊撃手と外野全てを経験して出場機会を増やしている。

 去年は非力な部分が目立ったという打撃が主な課題で、イースタン・リーグ3位の盗塁数もまだまだ上を目指す。1軍経験豊富な荻野貴司や岡田幸文が2軍にいた時期には、走塁の構えやリードの大きさを見て学び、自ら質問するなど試行錯誤を続けていた。

 ふと振り返ると、少し前まで遠く思えていた場所に今の自分は立っている。新鮮な気持ちが色褪せないのは、独立リーグ時代の経験があったからだ。

 当時は、野球を上達させるためだけに時間を使えたわけではなかった。試合のない時期は午前に練習し、午後は衣類を取り扱う倉庫作業など複数のアルバイトをして生活していた。それでも熱意が揺らぐことはなかったし、NPBの球団と対戦をしたとき、自分の夢が膨らんだ感覚を大木は鮮明に覚えている。

「これがプロの打球か」とグラウンドから見上げたのは、後に同じユニフォームを着ることになる、清田育宏と井上晴哉の本塁打が描く放物線だった。

「(支配下登録されて)頑張れば1軍に行ける状況になったことで、いつ呼ばれてもいいように準備する意識は強くなりました。打撃はまだまだ物足りないですし、まずは2軍でしっかり数字を残さないといけないので、ひとつひとつの精度を上げていきたいです。どこを守りたいというよりも、とにかく試合に出たい。どこでも守れるように練習をして、1軍でも使いやすいと思われる選手になりたいです。今年中に、絶対に1軍に行きます」

 きっと今年の夏も暑くなる。酷暑の汗を拭いながら、目下に広がるのは二度とやってこない景色ばかりだ。ひたむきに駆ける大木の背中を追うように、情景は色を変え続ける。あの日途絶えることなく続いた野球人生には、まだまだ素晴らしい瞬間が待っていると信じて。


長谷川美帆(千葉ロッテマリーンズ オフィシャルライター)=文

ベースボールチャンネル編集部