ここから本文です

2002年7月7日。田中将大が生まれ変わった「七夕の敗戦」のこと

7/7(金) 17:50配信

webスポルティーバ

 開幕戦の3回途中7失点KOに始まり、5月から6月にかけて5連敗も経験した。なかなか乗り切れなかったシーズン前半、「田中将大に何が起きたのか?」とマスコミも原因探しに躍起になっていた。

【写真】ヤンキースに現れた201cm「快進撃の巨人」

 しかし、どれだけ厳しい状況に置かれたとしても、今を次につなげられるのが田中という男である。「勝った、負けた」「好調だ、不調だ」と周囲が論じているときにはもう、田中の意識ははるか先を走り、次なる戦いへの準備に入っている。

 今季も6月23日、ダルビッシュ有とのメジャー初対決で8回を3安打、9奪三振、無失点と、圧巻の投球を見せると、そこから3連勝。周囲の評価をあっさり覆してみせた。

 調子が悪いなかでもなんとか踏みとどまり、持ち直す。田中の内面の強さをあらためて見せつけられた思いがした。ただ、その能力も生まれながらにして持っていたわけではない。では、いつ、どこで、その力を身につけていったのだろうか。

 今年5月1日にNHKで放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀』という番組で、当時、駒大苫小牧のエースとして早稲田実の斎藤佑樹(現・日本ハム)と投げ合った2006年夏の甲子園決勝再試合の話になった。その試合、空振り三振で最後のバッターとなった田中は、直後、穏やかな笑みを浮かべていた。その理由について聞かれた田中は、「やっぱり、野球の神様っているのかな」と当時の心境を口にし、こう続けた。

「(あの場面は)ただ、自分のスイングを思い切りして、悔いがないようにやろうってことだけだったので......。それが、あの場面でできたというのが、僕のなかでは成長だったのかな、というふうに思っています」

 中途半端なスイングで力を出せずに敗れた中学時代の悔しい経験から3年、フルスイングできた自分への思いがあの笑みにつながったということだった。

 田中が語った“中学時代の悔しい経験“のことは、今でもはっきりと覚えている。それは、のちの田中将大へとつながる真の一歩を踏み出した“あの日“のことだ。

 2002年の7月7日、兵庫県にある明石公園野球場で日本少年野球連盟兵庫支部の決勝が行なわれ、宝塚ボーイズと神戸球友ボーイズが全国大会出場をかけて戦った。

 当時、田中は宝塚ボーイズの2年生で、捕手兼投手として、主に5番を打っていた。その日、午前中に行なわれた準決勝で田中は先発マウンドに立ち勝利を収めると、決勝は捕手として出場した。

 決勝戦、3回表に神戸球友ボーイズが3点を先制すると、宝塚ボーイズも6回裏に2点を返し、1点差で最終回(ボーイズリーグは7回制)を迎えた。

 宝塚ボーイズは簡単に二死を取られたが、そこから四球とヒットで一、二塁とし、さらにパスボールで二、三塁とチャンスを広げた。打席にはチームで最も頼りになる4番の3年生。すると、相手ベンチは敬遠策を選択して二死満塁とし、ここで田中が打席に入った。

 一打同点、さらにサヨナラのチャンスもあったが、田中はカウント1-1から外のボール気味の球に中途半端なスイングでライトファウルフライに倒れ、ゲームセット。一塁ベース手前で力なくスピードを緩めた田中は天を仰いだ。

1/3ページ

記事提供社からのご案内(外部サイト)

Sportiva

集英社

Sportivaムック
4月13日発売

定価 本体1,472円+税

フィギュア特集
『羽生結弦 平昌への道』
■ヘルシンキの激闘
■宇野昌磨、本田真凜ほか