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投資の神様バフェットが明かす、人生を変えた「25歳の分岐点」

7/7(金) 8:00配信

Forbes JAPAN

恩師を継ぎ、有名ファンドのマネジャーになる道もあり得た。しかし、我が道を行き、500億ドルの資産を得ることになる─。



バフェットはいかにして投資の神様になったのか。「バークシャー・ハサウェイ」誕生前夜が、本人の口から明かされる。

「賢明なる投資家」を読んで以来、私にとっての憧れの人はベンジャミン・グレアムだった。

彼が教授を務めていたからこそ、コロンビア大学ビジネススクールに入りたいと考え、修了後に地元オマハに戻って証券を売り始めた後も彼のことが忘れられなかった。1951~54年の間、私は証券に関するアイデアをしたためた手紙を彼にしょっちゅう送っては困らせたものだ。するとある日、こんな返事が来た。

「次にニューヨークに来るとき、会いに来なさい」

職場を訪れると、彼は共同経営していた「グレアム・ニューマン」社で働かないか、と誘ってくれた。そこで、私は妊娠4カ月だった妻のスージーと幼い娘を連れ、ニューヨークへ引っ越した。会社へは毎朝、電車で通勤した。

ところが25歳を迎えた翌年、「ミスター・グレアム(私は彼のことをそう呼んでいた)」は、引退する旨を私に打ち明けた。それどころか、ジュニア・パートナーに引き立ててくれるという。確かに、ファンドが扱っている資産は決して多くはなかった。だが、誰もが知る有名なファンドだった。

この決断は私を苦しめた。自分にとっての英雄の正統な後継者になれるチャンスなのに—。私は長男を「ハワード・グレアム・バフェット」と名付けたくらい、グレアムのことを敬愛していた。だが、オマハに戻りたいとも考え始めていた。それから1カ月ほどは、ミスター・グレアムに退社することをどう伝えようかと悩んだものだ。本当に辛かった。

資金は「大工にとっての道具箱」

大学を卒業した頃、私には9800ドルの貯金があった。それが、55年の終わりには12万7000ドルに膨れ上がっていた。

そろそろ、オマハに戻ろう。大学の講義でも聴講して、思う存分に読書しよう—。要するに、引退しようと思っていたのだ。私の計算では、年1万2000ドルもあれば暮らしていけるはずだった。貯金を元手に投資すれば、それくらいは稼げる自信があった。

妻と子供たちを先にオマハへ帰すと、私はクルマで西へと向かい、投資したいと考えていた会社を訪れることにした。いわば、「デューディリジェンス(資産の適正評価)」だ。ペンシルベニア州やミシガン州、オハイオ州……。各企業を訪ねては、建物の外観や製品を自分の目で確かめた。どこへでも各社の会長たちは会ってくれ、皆、快く話をしてくれた。そして、いろいろと力になってくれた。

オマハに戻ると、私は家賃が月175ドルの家を借りた。妻には「いずれ家を買いたいけれど、それだと道具箱を手放す大工と変わらないからね」と諭した。投資に使う資本を使いたくなかったのだ。

会社を立ち上げる計画どころか、まともな仕事すらなかった。ただ、自分の資金を使っている分には不安はなかった。少なくとも、他人のお金で投資をする気はなかったのである。

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最終更新:7/7(金) 8:00
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