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永六輔さん死去から一年 元祖「天才ハガキ職人」が49年続けた「すべらない話」

7/7(金) 17:15配信

デイリー新潮

 2016年7月7日に死去した永六輔さん(享年83)は、1967年から亡くなる数カ月前まで、49年間に渡りラジオで冠番組を持ち続けた。永さんはまた中学時代にラジオ番組の常連投稿者となり、高校生で構成作家になった「天才ハガキ職人」でもあった。

 1991年から24年間にわたって永さんの番組でリポーターを務めた振付師のラッキィ池田さんは、新刊『「思わず見ちゃう」のつくりかた心をつかむ17の「子ども力」』のなかで永さんの話芸の魅力について振り返っている。

■はじまりは「ハガキ職人」

 永さんの芸能活動の始まりは早く、中学生のときにラジオ番組にネタを投稿したのがきっかけだった。今の言葉では「ハガキ職人」と呼ばれる、番組にハガキを投稿して読まれるリスナーからのスタートだ。

 その番組は、1947年から1952年までNHKラジオで放送していた「日曜娯楽版」。コントを投稿し、パーソナリティの三木鶏郎さんに「おもしろい」と認められたことから永さんは「三木鶏郎文芸部」に出入りするようになる。中学生の永さんは名物常連投稿者となり、高校生のうちに番組の構成作家の一人となった。現在でもハガキ職人から構成作家となる人は多いが、その元祖が永さんだ。

 後に「三木鶏郎文芸部」は「冗談工房」に名前を変え、永さんはわずか23歳でその社長に就任。作家の野坂昭如さんなど、後の盟友たちも続々「冗談工房」に加わった。

■永さんの「すべらない話」は演芸の教科書

 そんな永六輔さんの話芸とは、今でいう「すべらない話」だったとラッキィ池田さんは語る。TBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』で1991年より24年半に渡りリポーターを務めたラッキィ池田さんは、6月30日に上梓した著書のなかで永さんとのエピソードを数多く記している。以下はそのひとつだ。

 永さんがプロデュースし、新宿紀伊國屋ホールで開催していた「新宿寄席」にラッキィ池田さんが出演した時のこと。リハーサル中、若い女性のバックダンサーに「永六輔って知ってる?」と聞いたところ、「ええと……大河ドラマに出てますよね?」という返答がきたという。どうやら、井伊直弼と間違えていたらしい。

 このやりとりを本番でも披露したところ、永さんはこの勘違いを気に入ってしまい、以後あちこちで「僕は若い人にはあの井伊直弼と間違えられているんです。つまり僕は桜田門外の変で殺されちゃうんです!」と言うようになったそうだ。

 最初は「ラッキィが舞台に若いダンサーを連れてきて……」とそのまま話していたが、そのうち話が簡略化され、「この間、電車に乗っていたら若い子が『永六輔って知ってる?』『ああ、桜田門外の変で殺される人でしょ!』って言っていました」に変わっていった。

 自分の見聞きしたおもしろい出来事を、落語でいう「まくら」、今風にいえば「すべらない話」に仕上げていく過程を目の当たりにし、ラッキィ池田さんは演芸の教科書のように参考になったという。

 永六輔さんは、作家・井上ひさしさんの「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」という言葉をよく引用していた。

 49年間、冠番組を持ち、全国津々浦々の話を「すべらない話」に仕上げて伝えた永六輔さん。そこにはいつも「むずかしいことをやさしく……」の工夫があったのだ。

デイリー新潮編集部

2017年7月7日 掲載

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最終更新:7/19(水) 16:17
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