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ポドルスキで歴代9人目の「ドイツ人Jリーガー」 日本人選手の模範となった偉大な先人たち

7/8(土) 17:40配信

Football ZONE web

Jリーグ開幕時にインパクトを残した、名手リトバルスキーの技術と闘志

 Jリーグにおけるドイツ人プレーヤーは、意外なほど少数派である。ヴィッセル神戸に加入したルーカス・ポドルスキが、25年の歴史のなかで歴代9人目なのだ。

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 とはいえ、力強い足跡を残した選手は多い。黎明期のJリーグにおいて、ドイツ人選手は日本人選手の模範となった。

 ファーストインパクトを与えたのは、“リティ”ことMFピエール・リトバルスキーである。西ドイツ代表(当時)として1982年から3大会連続でワールドカップ(W杯)に出場し、90年イタリア大会では世界王者の一員となったこのドリブラーは、93年のJリーグ開幕をジェフユナイテッド市原(現千葉)のメンバーとして迎えた。

 当時すでに33歳である。キャリアのピークは過ぎていたものの、巧みなステップワークは衰えを感じさせない。リティと対峙した日本人DFたちは、「相手の逆を突くのがとにかく上手い」と口を揃えたものだ。

 テクニックに優れていただけではない。勝利への強い執着心を、リティは練習から燃やしていった。日本人選手たちが求める「プロとは何か?」の答えを、ピッチ内外で示していったのだった。

“弱小クラブ”浦和を変えたW杯優勝コンビ

 そのリティのパートナーとして、93年途中に市原入りしたのが、FWフランク・オルデネビッツだ。“オッツェ”の愛称を持つ左利きのストライカーは、同胞とのホットラインを開通させる。“リティの恋人”とも呼ばれたオッツェは、94年に30ゴールを奪ってJリーグ得点王に輝いた。

 同時期の浦和レッズでは、ドイツ人選手がチームを支えていた。93年にFWミヒャエル・ルンメニゲとDFウーベ・ラーンが来日し、翌94年にDFギド・ブッフバルトとMFウーベ・バインが合流する。そして95年、浦和は変わるのである。

 93年の開幕から2年連続の年間最下位に沈み弱小クラブのレッテルを貼られていた浦和は、この年からドイツ人のホルガー・オジェックを監督に迎えていた。ブッフバルトは守備の重鎮として最終ラインを束ね、バインは攻撃のタクトを揮う。リティと同じく90年W杯で世界一になった彼らが、攻守の二枚看板となっていた。

 バインの加入は、チームの得点源を覚醒させた。口ひげをたくわえた物静かなレフティーは、95年のシーズン開幕前にFW福田正博に訊いた。

「足下でパスをもらいたいのか、スペースで受けたいのか。どっちなんだ?」

 福田は「スペースで受けたい」と答えた。コミュニケーションと言うにはかなりささやかなこのやり取りで、彼らはお互いのプレーをシンクロさせていく。

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最終更新:7/8(土) 17:40
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