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引退発表の井口資仁が、少年野球からMLBまで貫いた「超マイペース」

7/9(日) 8:20配信

webスポルティーバ

「神様、仏様、井口様!!」

 千葉ロッテマリーンズの井口資仁に関して筆者が真っ先に思い出すのは、彼を応援していた父兄たちの叫びだ。プロ入りしてから、あるいはメジャー移籍後に大観衆のスタンドから発せれたものではない。今から約30年前、少年野球のフィールドでベンチ裏から飛んできた掛け声だった。

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 6月20日、井口は今季限りでの現役引退を発表した。日本とアメリカの両方で優れた実績を残し、合計21年にわたるキャリアを過ごした上での見事な幕引きだ。

 MLBでは、渡米1年目の2005年に2番セカンドに定着し、シカゴ・ホワイトソックスの88年ぶりの世界一に貢献したことが印象深い。ルーキーイヤーで打率.278、15本塁打、15盗塁という堂々たる成績を残し、翌2006年も.281、18本塁打、11盗塁と、2年連続で結果を出したことは特筆されるべき点だ。

 これまで、MLBで活躍することができた日本人野手は数えるほどしかいない。特に入団当初は、打撃面ではツーシームをはじめとする慣れない球種に、守備面ではフィールドの芝の長さなどに苦しむ選手が多かった。松井秀喜、松井稼頭央といった、日本で輝かしい成績を残した野手ですら、それは例外ではなかった。この点で、メジャーキャリア開始直後から当たり前のように活躍し続けた、井口の順応の早さは際立っている。

 フィールド上で誇示した適応能力と共に、筆者の取材の中で記憶に残っているのは、井口がクラブハウスでも“自分らしさ“を貫いていたことだ。メジャーリーグに来た他の多くの日本人選手のように、少しでも早くチームに馴染もうと躍起になっているようには見えなかった。いい意味でビジネスライクに、淡々と自分の仕事をこなしていた印象がある。

 言葉で言ってしまえばシンプルだが、異国の新たな環境の中での“割り切り“は簡単ではなく、その上で結果を出すのはもっと難しい。しかし持ち前の“強心臓“で渡米直後にそれをやり遂げた井口の姿に、少年時代の記憶があらためて鮮明に蘇った。

 筆者は井口と同じ東京都の田無市(現在の西東京市)出身で、小学生時代は「ビクトリー」という地元の軟式少年野球チームでプレーした。年齢は井口が1つ上だったこともあって、親しい友人関係だったわけではない。しかし、当時キャッチャーだった井口と、1学年下でチームのエースピッチャーだった筆者が、バッテリーを組ませてもらったことが何度かある。

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