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【文庫双六】近代作家たちは水の匂いを求めた――野崎歓

7/10(月) 11:30配信

Book Bang

 江戸の下町で飲用水を水売りに頼っていたとは意外な話である。ともあれ江戸は、水路を自在にめぐらせた“水の都”だった。

 そもそもかつての日本社会が、隅々まで水に潤されていたことは間違いないだろう。やがて運河や掘割は片端から埋め立てられ、川は汚染されていく。そんななりゆきに抵抗するようにして作家たちは水辺の風景を追い、水の匂いを求めた。川本三郎が『大正幻影』で鮮やかに描いたとおり、日本の近代文学は水への郷愁に浸された文学なのである。

 そのなかでこの数年、マイブームなのが井伏鱒二だ。名前からして「魚」を「尊」ぶとあるとおり、井伏は魚を愛し、谷川での釣りにいそしみ、さらには温泉や酒を好んだ。その作品は日本的な「淡水」の魅力にあふれていて、リラックスしたよさがある。読んでいてせちがらい日常を忘れる。

 釣り名人かと思わせながら、彼のエッセーを読むと釣れなかった話ばかり。それをいかにも楽しげに書いてくれるので心がなごむ。しかし根がまじめな人だから、ちゃんと師匠について修行をした。その修行ぶりを綴った「水郷通いの釣師」を含む一冊を取り上げよう。

 井伏の師匠は鮎釣り名人佐藤垢石(こうせき)。一徹な信念の持ち主だったようで、友釣りの囮をおろそかに扱おうものなら逆鱗に触れる。井伏は初めて教えを受けた際、囮の鮎を急流の底にひっかけてしまった。垢石は、川に潜って囮を外してこいと命じる。井伏はやむなく「パンツ一つ」になり、「抱けるだけの大きな石を抱いて」水中に沈み、鮎を救出した。気がつくと腕にはめた時計がめちゃくちゃに壊れていた。

 山川草木に溶けこむというのが垢石の信念だった。それは井伏作品の魅力そのものである。思えば僕だって子供時代は弟たちや友だちと海や川での釣りに夢中になっていた。童心を失わず水辺に通い続けた井伏の作品を読みながら、自分もいっぱしの釣師だったあのころを懐かしむのである。

[レビュアー]野崎歓(仏文学者・東京大学教授)

新潮社 週刊新潮 2017年7月6日号 掲載

新潮社

最終更新:7/10(月) 12:58
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