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バブルの代名詞「赤プリ伝説」を振り返る…イブの夜は宿泊カップルの営みのせいで震度3~5クラスの揺れを観測した

7/10(月) 15:50配信

週刊SPA!

 「赤プリ」こと赤坂プリンスホテルは、1955年から2011年まで、東京の一等地である千代田区紀尾井町にあった、西武グループに属する都内型高級リゾートホテルである。

 赤プリといえば「バブルの代名詞」として、今でも脳内にインプリンティングされている御仁も多いのではなかろうか。とりあえずは真っ盛りだったころに生まれた、数々の「赤プリ伝説」のいくつかを、特に熱量が半端じゃなかったクリスマスに限定して、抜粋してみよう。

「イブの夜は宿泊カップルの営みのせいで震度3~5クラスの揺れを観測した」

「男たちは赤プリ一泊(約5万円)、レストラン(約3万円)・バーもしくはルームサービスで二次会(約2万円)、プレゼント(約3万~5万円)の計15万円セットで、ようやくイッパツの××(『チョメチョメ』と読む)にありつけた」

「クリスマス時期の宿泊予約は9月末に埋まってしまい、クリスマス明けにチェックアウトした男が、そのままあやふやな見通しで翌年分を予約していた」

「23日、24日、25日の3日間をリザーブして、3人の女性と股をかける剛の者もいた」

「イブの日に赤プリ内で2部屋リザーブし、そこに宿泊する2人の女性の間を行き来するツワモノもいた」

「朝10時はチェックアウトする男が押し寄せ、フロント前が大名行列状態だった」

「その横で待つ女性群が持っている小さな紙袋は90%以上が水色だった(ティファニーのオープンハート入り。シルバーかゴールドかで軽い階級差が生じてもいた。銀座三越のティファニーも12月は1時間待ちもザラだったという)」

 今のゆとり世代に聞かせたら、「マユツバモノの武勇伝」として一笑に付されるものばかりなのかもしれない。だが、これはどれも間違いなく(「震度3~5クラスの揺れを観測した」を除けば)、ほぼ真実なのだ。

 そして、15万円の予算が捻出できない者や、準備不足で赤プリのクリスマスをキープし損なった者は、「プリンス」がついたらなんでもいいや……と、急場しのぎで「東京プリンスホテル」や「池袋サンシャインプリンスホテル」や「新宿プリンスホテル」へと流れていった(秩父にある「長瀞プリンスホテル」まで流れ着いた者も実在した)。つまりプリンスブランドは、当時の若者にとって、それくらいの確固たるステイタスを誇っていたのである。

 そんな「赤プリ躍進」の大きなきっかけは、まだバブル前夜だった80年代前半にまで溯る。1983年、丹下健三氏設計の「タワー新館」が鳴り物入りでオープン。「高級ホテル=厳か」といった従来のイメージを打ち破る、すべての部屋が角部屋となる、ギザギザの近未来的でスクエアな、ひたすら「モダン」に徹したデザインが、あのころのアッパーな空気にマッチしていたのだろう。

 営業開始当初は、小金を持った高感度人間たちの常宿として、口コミで「イケてる感」が伝わり、バブルに突入したあたりからその噂が市井の民にまで広がり、一気にブレイク。そこから騒乱と喧噪が始まることとなる――。

 さて、バブル景気を経て、その約20年後にひっそりと営業を終えた赤プリ(閉館時は「グランドプリンスホテル赤坂」と改称されていた)であるが、現在はオフィス、商業スペース、ホテル、住居が一体となった某複合型施設へと姿を変えている。シンボリックからファジーに――こういった「セレブの在り方の違い」も一つの時代の流れ……なんですかね? 合掌!

文/山田ゴメス、写真/産経新聞社

日刊SPA!

最終更新:7/10(月) 15:50
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