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大阪桐蔭野球部 PLとの差を埋めた「付き人制度の廃止」

7/11(火) 16:00配信

NEWS ポストセブン

 春夏連覇を狙うセンバツ覇者の大阪桐蔭と、昨夏で休部に追い込まれた超名門のPL学園──多くの高校野球ファンに鮮烈な印象を残す2校。もし夏の甲子園で大阪桐蔭が春夏連覇を果たせば、優勝回数はPLに並ぶ。2校の「縁」を『永遠のPL学園』著者・柳川悠二氏(ノンフィクションライター)が追った。

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 元中日の今中慎二は、1986年に大阪桐蔭の前身である大阪産業大学高校大東校舎に4期生として入学した。当時の監督は、1978年にPL学園が初めて全国制覇を達成した時の監督である山本泰(旧姓・鶴岡)。プロ野球の史上最多勝監督である“ドン”鶴岡一人の長男である山本は1980年にPLの監督を退いていた。

「開校したばかりの大東校舎は、監督に山本さんを置き、PLの野球そのものを引き継いでいました。サインが攻守で100種類以上あって、練習の内容もとにかく細かい。(1年生が上級生の身の回りを世話する)付き人制度もありました。中学までただ楽しく野球をやっていた自分には、別次元の野球でした」

 甲子園で活躍して校名を売る。そういうPLの前例に倣いたかったのだろうか。しかし、大東校舎にとって、PLは遥か彼方の存在だった。今中が入学するまで、大東校舎はPLに対し公式戦で9連敗していたという。

 1年夏からベンチ入りし、その秋にはエース格に成長した今中は、同年の秋季大阪大会準々決勝PL戦に先発する。PLの1学年上に、後に中日ドラゴンズでチームメイトとなる立浪和義がいた。片岡篤史(元阪神)、野村弘樹(元横浜)らとともに翌1987年に春夏連覇を達成するPL最強世代である。

 今中は5回に1失点したものの、強力打線を最少失点に抑え込む。だが、味方が初回の1安打だけに封じられ、0対1で惜敗した。

「あの試合でもし勝っていたら、PLの春夏連覇はなかった(笑)。この試合をスカウトが見てくれていて、無名の自分がプロに行けた。その点では、大きな意味のある試合でした」

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