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たとえば非正規雇用の若者。「居場所」がない人が宗教を求める

7/11(火) 8:00配信

BEST TIMES

バブル当時からその崩壊、そして現在へ、宗教を求める人の心理は変化してきた。約20年の修行を積み恐山・院代となった南直哉禅師が上梓する『「悟り」は開けない』で語られるアウトサイダー仏教論。「悟り」とは何か――、そして「仏教」とは何か、その本質がわかる。

「焦っている」から「強い不安」、そして「居場所がない」へ

 バブル崩壊以降の日本で、オウム真理教事件をはじめ、様々な宗教の活動が善きにつけ悪しきにつけ世上で注目されたり取りざたされたりし、また昨今、仏教や瞑想がそれなりのブームとなっているのを見るとき、宗教にアクセスするこれら人々の需要は、単に「現世利益」にあるのでしょうか。もし、そうでないなら、今の需要は、私の考える「普遍宗教」の問題設定にリンクしているのではないでしょうか。

 私は今まで、老若男女、様々な人たちと話しをする機会がありました。
 バブルの頃、私の修行する道場にやって来た人たちは、何か「焦っている」ように見えました。とにかくどこかに早くいくために、より「強く」ならなければいけないかのようでした。

 バブルが崩壊してからは、「頭を空っぽにしたい」「本当の自分を見つけたい」と言う人が増えたように思いました。彼らには、何か静かだけれど、強い「不安」があるように、私には思えました。

 ところが、21世紀も10年が過ぎ、象徴的には東日本大震災と福島原発事故前後から、もはや「不安」というより、なんとなく人々が茫然としている感じがするのです。ときどき聞くのは「居場所がない」という言い方です。

自由競争によって居場所がなくなる...

 大きな会社に勤めて、家庭的にも恵まれていような人がそう言う。「寄る辺がない」「何も頼りにならない」と訴えた初老の男性もいました。

 そうです。我々は今や、バブルの頃までは持っていたであろう、漠然とした「安心感」、人や社会に対する「信頼感」を失っているのです。

 最近私が出会った20歳代の人々は、ほとんどが非正規社員かアルバイトの人でした。半年後の職が保証されていなかった人も少なくありません。しかも、「非正規」であるのは、努力不足や能力不足、つまり「自己責任」で片づかないケースがたくさんあるのです。

 たとえば、幼児期の虐待などで、本来頼りなるべき家族との関係に致命的なダメージを負っていたら、人生のスタートラインに自ら立つ力さえ失われてしまうでしょう。

「自己決定」と「自己責任」が強調され、「自由競争」こそ社会の道理だという主張が声高になれば、重病の人、高齢の人、障害のある人、それを介護する人の立場は、次第に切り詰められ、追い詰められていきます。

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