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「課長を卒業したから部長に」は間違い 独自の「出世戦略」実践したアサヒ会長

7/12(水) 7:47配信

NIKKEI STYLE

 「自分の強みを会社が育ててくれた」というアサヒグループホールディングス(HD)の泉谷直木会長。本流のビールの営業畑をほとんど歩まず、10年ごとに独自の目標を掲げてステップアップ、新設部門のリーダーを次々任されてきた。ビジネスマン人生を振り返りながら、キャリアの磨き方や人材の評価制度などについて聞いた。

■「入社10年目まではいわれたことは全部やった」

――泉谷会長はどのようにキャリアを形成してきたのですか。
 「社会に出た40年前から、ビジネスマンは10年ごとに目標というか、テーマを持ってやっていこうと考えた。最初の10年は、いわれたことを全部やることにした。まずは『修行』だと。特に私は学生時代スキーばかりやっていて、バイトの経験もなく、就職試験のときもアサヒビールしか受けなかった。食品会社に興味があって、たまたま受けて入社できた。シェアがどのくらいかも知らず、社会のことも何も知らなかった」 
 「九州の博多工場に配属されて、総務や庶務といったいろんな仕事をした。土砂降りになると倉庫に雨水がたまるから掃除にいったり、トイレが壊れたらスパナを持って直したり。どんな雑用もやると決めてやったら、意外な成果があった。我々は大卒でいくので、本社採用なんだけど、現場にいる自分の父親と同じぐらいの年齢の人たちにかわいがってもらえた。そのかわり、飲まされたけどね(笑)」
 「職位が上がる次の10年は『強みと得意技を磨く』を目標にした。実力で上がらず、年功であがったら必ずつぶれる。しかし、私は工場で下積みはやったけれど何が残っているのかと。ただ私は運がよかった。工場勤務、労働組合を経て戻った30半ば、これがターニングポイントだった」

■次々新設部門のリーダーに

 「そのころ、業績も社内の雰囲気も一番しんどいときだった。経営を改革しようとなり、コーポレートアイデンティティ(CI)を作るための部署ができた。くしくも私はその専任スタッフになった」
 ――なぜ「運がよかった」と考えるのですか。
 「(CI作りは)誰も経験がないことだった。だから会社側は若手を使おう、とたまたま仕事で強みを作る機会と地位をもらえた。世の中と会社の関係をどう見るか、企業風土をどう変えるか。私はCIを通して背景にあるコーポレートコミュニケーションのやり方を仕事で学んだ。その後、新たに広報企画課を作ってもらい、初代課長にしてもらえた」
 「こうして強みを作っていけば、『この分野はあいつが一番だ』となる。世間的には大したことなくても、どんぐりの背比べのなかで少し上になる。上司から質問されるからもっと勉強しなければならない。そうしてレベルがあがってくる」
 ――次の10年は何をテーマにキャリアを磨いたのですか。
 「今度は生かしていた強みが、『余人をもって代えがたし』となる。私は、故瀬戸(雄三)社長に、経営改革を推進するために新たに経営戦略部を作るからと、その部長にしてもらえた。外の人の力を借りたり、社外の若い人の意見をもらったりして、経営戦略をつくり上げていった。そして経営戦略は泉谷に任せよう、といってもらえるようになった」
 「さらに次の10年は、役員になって『大義で仕事をする』と決めた。会社の社会的存在や存在意義、私たちはこれから何をすべきなのか。外と議論しようと、新聞や雑誌に面白い社長が出ていたら、直接会いに行ったこともある」

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最終更新:7/12(水) 7:47
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