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今日は何の日~猛将・ 福島正則が信濃高井野で没

7/13(木) 13:20配信

PHP Online 衆知(歴史街道)

寛永元年7月13日

寛永元年7月13日(1624年8月26日)、福島正則が没しました。賤ヶ岳七本槍の一人で、秀吉子飼いの猛将として知られます。無類の酒好きで猪突猛進型の武将と思われていますが、実際はどうだったのでしょうか。
正則は永禄4年(1561)、尾張国で福島正信の長男に生まれたといわれます(異説あり。当時、正信は桶屋であったとも)。母親が羽柴秀吉の叔母にあたり、その縁で幼少から秀吉の小姓になったといわれます。加藤虎之助(清正)らとともに、秀吉の妻・おねに育てられ、初陣は天正6年(1578)、18歳の時の播磨三木城攻めでした。その後、山崎の合戦でも武功を上げ、天正11年(1583)の賤ヶ岳の合戦では一番槍・一番首を取って、一躍5000石を与えられました。これは七本槍の他の武将と比較しても、突出して大きなものです。
天正13年(1585)には、従五位下左衛門大夫に叙任。その後も武功は続き、九州征伐後に今治11万石を与えられました。 文禄元年(1592)の文禄の役では五番隊の主将となり、京畿道攻略にあたります。その麾下に長宗我部元親、蜂須賀家政、生駒親正らがいました。正則32歳の時です。文禄4年(1595)には、秀吉より清洲24万石を与えられ、故郷に錦を飾りました。
慶長の役には参加しなかった正則ですが、次第に石田三成との仲が悪化、慶長3年(1598)に秀吉が死ぬと、正則や清正、浅野幸長、黒田長政らと三成の対立が決定的となります。翌年、抑えとなっていた前田利家が没すると、正則たちは三成襲撃未遂事件を起こし、秀吉子飼い武将の亀裂を徳川家康に利用されることになりました。
そして慶長5年(1600)。家康率いる上杉討伐軍が小山付近に至ったところで、上方で三成挙兵の報せが届きます。豊臣恩顧の筆頭的存在である正則を何とか味方につけ、討伐軍をそのまま三成に対する東軍へと変貌させたい家康は、黒田長政に正則を説得させました。長政は損得勘定よりも、家康の秀頼に対する忠誠心に疑いがなく、三成を倒すことが豊臣家のために急務であると説きます。正則は家康に味方すると決め、小山会議で発言しました。
「われら妻子を大坂に置くは秀頼公の御為であり、治部少輔(三成)に利させるためにあらず。ここは妻子をいささかも思わず、内府殿(家康)にお味方すべし」
この正則の一言で、関ケ原の大勢は決したといっていいのかもしれません。もちろん正則にすれば秀頼を守るためという彼なりの倫理観に基づくもので、関ケ原前哨戦で織田秀信の岐阜城を落とした際も、秀吉の主・信長の孫である秀信の助命を、自分の功績と引き換えにと実現させています。
9月15日の関ケ原本戦では、西軍主力である宇喜多秀家隊と正面衝突します。宇喜多隊は正則隊の3倍近く、しかも指揮するのは名将明石掃部で、さしもの正則も押されますが、踏みとどまったことで東軍勝利に結びつきました。この功績で正則は、一躍安芸広島及び備後鞆49万8200石の太守となります。しかし、関ケ原の結果、家康が実質的に天下を取ったことは正則も認めざるを得なくなり、内心鬱屈した思いがあったことでしょう。
正則は酒にまつわる失敗談が多く伝わり、有名なところでは、黒田家の母里太兵衛に名槍・日本号を飲み取られ、また酔った勢いで諫言した家臣に切腹を命じ、翌朝その家臣の首の前で泣いて詫びたという話があります。その一方で、飲み友達の松田左近(堀尾忠氏家臣)が傷を負ったと聞いて駆けつけ、幸い軽い怪我だったので左近が酒でもてなそうとすると、「酒は傷にさわる。ひと椀だけなら馳走になろう」と、二人してひと椀の酒を楽しんだとか。
また広島から将軍に献上する酒を載せた船が、悪天候で八丈島まで流されました。すると島で手を振る者がいて、近寄ってきます。みすぼらしい姿の男は、自分は宇喜多秀家であると名乗り、「備後三原の酒と書いた旗を見て懐かしく、思わず手を振り申した。故郷の酒はもう何年も口にしておりませぬ」と涙ぐんで語るのに、正則の家臣たちは胸を打たれ、献上用の酒ながら秀家にいくらかを分け与えました。秀家は御礼にと歌を詠んで正則に渡してくれるよう託します。後に家臣から話を聞いた正則は「ようしてくれた。秀家殿に酒を差し上げたこと、わしからも礼を言うぞ」と涙ぐみながら頭を下げたといいます。
この他、広島の治政でも見るべき点は多く、正則が決して単なる猪武者ではなかったことを窺わせます。しかし大坂の陣ではもはや秀頼に何もしてやることはできず、元和5年(1619)に水害で痛んだ部分の城の修築を幕府に咎められ、安芸・備後50万石を没収。信濃川中島4万5000石に移封となり、隠居後、嫡男・忠勝が早世したため2万5000石を幕府に返上し、寛永元年に高井野で没しました。享年64。
敗者はとかく悪く言われがちですが、正則もまた、そうした点を差し引いて見なくてはならないような気がします。

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