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恩師との出会いで変わった運命。清水・鎌田翔雅、プロ10年目・170試合目の初ゴール

7/15(土) 10:20配信

フットボールチャンネル

 ひとつの出会いが、選手の運命を大きく変えることもある。8日のガンバ大阪とのJ1第18節でプロ10年目、公式戦では実に170試合目にして待望の初ゴールを決めて、清水エスパルスの勝利に貢献した28歳の苦労人、DF鎌田翔雅のターニングポイントは10年前にまでさかのぼる。ガンバ戦後に祝福メッセージを送った、湘南ベルマーレの曹貴裁監督との知られざるエピソードを紐解いていく。(取材・文:藤江直人)

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●恩師から届いた5文字のメッセージ

 スマートフォンの画面をスクロールしていくうちに、思わぬ人物から祝福のメッセージが届いていることに、清水エスパルスのDF鎌田翔雅(しょうま)は気がついた。

「おめでとう」

 無料通話アプリ『LINE』を介して簡潔に、それでいて熱い思いが十分に伝わってくる5文字を送ってきたのは、いまも恩人として慕う湘南ベルマーレの曹貴裁(チョウ・キジェ)監督だった。

「本当にびっくりしましたけど、ちゃんと見ていてくれているんだと思うと、やっぱり嬉しかったですね。すぐに『ありがとうございます』と返信しました」

 一生の思い出に残る、2017年7月8日の夜が更けようとしていた。つい数時間前、ホームのIAIスタジアム日本平にガンバ大阪を迎えたJ1第18節で、エスパルスは2‐0の完封勝利を手にしていた。

 ガンバからあげた8年ぶりとなる白星を決定づけたのは鎌田。プロになって10年目、J2や天皇杯を含めた公式戦では実に170試合目における初ゴールを決めたのは、1点リードで迎えた前半40分だった。

 FW金子翔太が思い切って放った強烈なミドルシュートを、日本代表GK東口順昭が大きく左へ弾く。このとき、右サイドをフォローしていた鎌田は「何となく流れのなかで」と、ニアサイドへ潜り込んでいく。

 こぼれ球を拾った左サイドバックの松原后が、すかさず金子が詰めていたファーサイドへクロスを放つ。これをDF初瀬亮がかろうじて頭で防ぎ、ボールは反対側のゴールラインを割ろうとしていた。

 コーナーキックになるのか――ガンバだけでなく、味方の選手までもがボールウォッチャーになる。ほんの一瞬だけ生じた隙を、ボールを支配下に置いたエスパルスのボランチ・竹内涼は見逃さなかった。

 慌てて間合いを詰めてきた東口の頭上を越す、ヘディングによるパスをニアサイドに送る。待っていたのは鎌田。日本代表MF井手口陽介との空中戦を制し、無人となったゴールへボールを押し込んだ。

「僕自身も、タケ(竹内)がそのまま外に出すかなと思ったんですけど。たまたまいいボールが来たので、本当に合わせるだけでした」

●ピッチを離れた私生活から叩き直された青春時代

 午後6時キックオフの試合途中から、おそらく鎌田の『LINE』にはメッセージがどんどん到着していたのだろう。一方で曹監督は1時間遅れの午後7時から、敵地で大分トリニータ戦の指揮を執っていた。

 試合はスコアレスドローに終わったが、キックオフ前の時点で勝ち点で並んでいたアビスパ福岡がツエーゲン金沢に0‐2で負けたため、勝ち点を44に伸ばして単独首位に立った。

 そして、他チームの試合結果を、J1を含めてくまなくチェックしているときに、かつての愛弟子の一人、鎌田が公式戦初ゴールをあげたことを知り、感激のあまりメッセージを送ったのだろう。

 曹監督が指揮官としてデビューした2012シーズンのこと。J2戦線で痛快な攻撃的サッカーを展開し、先発メンバーのなかで無得点だったのがゴールキーパーと鎌田だけという時期があった。

 当時の主戦場は、3バックで組む最終サインの右ストッパー。ある試合でインターセプトから果敢に攻め上がり、ゴール前でフリーの状態でリターンを受けてシュートを放つも外したことがあった。

「アイツにはゴールを期待していませんから。シュートを打つまではすごくスーパーなんですけど」

 試合後の公式会見における曹監督の言葉だ。もちろんダメ出しをしているわけではない。球際の激しさと衰えを知らないハードワークに目を細めながら、さらに成長を期す意味をこめて檄を飛ばした。

「そうですね。ずっと『下手くそだ』と言われていましたからね。ここまで本当に長かったですよね。プロになって10年目ですからね」

 当時を思い出す鎌田も、苦笑いを浮かべる。出会いはさらに前へとさかのぼる。ジュニアからベルマーレの下部組織ひと筋で育ち、ユースに昇格した2005シーズン。曹貴裁がベルマーレに招聘された。

 前年までセレッソ大阪でヘッドコーチを務めていた曹貴裁は、アカデミー組織全体をサッカー以外の部分を含めて立て直す仕事を託されてベルマーレ入り。2006シーズンからはユースの監督を務める。

「サッカー選手だけではなくて、一人の大人として長い人生で成功できるように、集団生活における行動や言葉使いというものをだいぶ正されました。すごく厳しかったですね」

 鎌田が振り返るように、ピッチを離れた私生活から叩き直された青春時代。迎えた2007シーズン。高校最後の年になって、鎌田はいま現在につながる、サッカー人生のターニングポイントを迎える。

 それまでフォワードもしくはサイドハーフと攻撃的なポジションを務めていた鎌田は、右サイドバックへの転向を命じられる。まさに青天のへきれきだったが、曹監督の説明は単純明快だった。

「プロとして勝負していくのならば、このポジションだと言われて。あのときにサイドバックになって、いまでは逆によかったと思っています」

●湘南時代に経験したベンチ外の日々。原点を見つめなおすきっかけに

 2008シーズンからベルマーレのトップチームに昇格。反町康治監督(現松本山雅FC監督)のもとでJ1を戦った2010シーズンは、ジェフユナイテッド千葉へ期限付き移籍して武者修行を積んだ。

 満を持して、J2に降格した2011シーズンから復帰。曹監督と再び“子弟”の関係になった2012シーズンは40試合に出場し、プレー時間はチーム最長となる3447分間を数えた。

 最終戦で2位に食い込んでJ1への自動昇格をもぎ取り、迎えた2013シーズン。2‐4で逆転負けを喫した横浜F・マリノスとの開幕戦でフル出場した鎌田は、次節からこつ然と姿を消す。

 サガン鳥栖、エスパルス、ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)の大宮アルディージャをはさんで名古屋グランパス戦とベンチからも外れた理由は、決してけがをしていたからではなかった。

「もともとファイトできる選手なんだけど、マリノスとの開幕戦の最後のほうの時間帯は後ろ向きのプレーが多かった。そんなレベルの選手じゃないと僕は思っているし、(鎌田)翔雅が自分自身で考えてほしいという思いもあったので、何も説明することなく、1ヶ月くらいメンバーに入れませんでした」

 曹監督に疑問をぶつけると、こんな言葉が返ってきた。獅子の子落とし――。子供を立派に育てたければ楽をさせずに、あえて苦難の道を歩ませよという意味のことわざを思い浮かべずにはいられなかった。

 期待に応えるように、鎌田ははいあがっていた。サガン戦でメンバーから外れたときは「なぜなのか」とさすがに思ったが、スタンドから仲間たちが戦う光景を見つめているうちに原点を確認できた。

●ベルマーレから離れても、原点は曹監督から学んだ日々に

「僕たちの『湘南スタイル』はどんどん前へ、攻撃だけではなくて守備でも積極的にボールを奪いにいく姿勢を見せること。自分ももっと切り替えなきゃいけないと思った。しっかりと考え直せたからこそ、戻って来られたと自分では思っている。振り返ってみれば、ベンチ外はいい期間でした」

 当時はこう語っていた鎌田は、最終的には21試合に出場する。初めて臨むJ1の舞台。テクニックも経験も豊富な対戦相手に、臆する部分もあったのだろう。それでも指揮官が責めることはなかった。

「ミスをしたから外すことは絶対ない。そんなことをしたら選手は伸びない。でも、できることをやろうとしない、自分がわかっているのに向き合わないのはダメ。戦ったことがない相手と向き合うという前提は当然あるけど、その前提を許してしまえば選手の成長曲線が上昇カーブを描くこともないので」

 2014シーズンはファジアーノ岡山へ期限付き移籍し、2015シーズンからはエスパルスへ完全移籍。ベルマーレから旅立つ形になっても、鎌田の原点は曹監督から学んだ日々にある。

「やっぱりそこが僕のベースだと思うので、忘れずにやりたいですね。特にハードワークの部分は間違いなくベルマーレで教わった部分だし、それは逆にいまのエスパルスに足りない部分だと思っているので。その部分を自分がやろうと思って、一生懸命プレーさせてもらっています」

 だからこそ、チームという垣根を超えて、曹監督が自分を見ていたことが嬉しかった。たった5文字の短い言葉のなかに、祝福、労い、激励、未来への叱咤をふくめたあらゆる思いを感じ取れた。

 今シーズンから、背番号を「4」から「5」に変えた。カナダ代表のDFデヤン・ヤコビッチが退団するとを聞き、彼が2年間背負ってきた「5番」を譲り受けたいとフロントへ直訴した。

「去年が『4番』でちょっと苦しい思いをしたので。心機一転したかったのと、僕自身が『5』という数字が好きなので。それでヤコ(ヤコビッチ)がいなくなることを受けて、変えさせてもらいました」

 昨年4月のセレッソ大阪戦で、左ひざの前十字じん帯を損傷した。緊急手術を受けるのも、全治6ヶ月の重症で戦列を離れるのも、リハビリに苦闘するのも、サッカー人生で初めての経験だった。

●ひとつの出会いで大きく変わるサッカー人生

 翻って、今シーズンはサンフレッチェ広島との第2節から、右サイドバックとして17試合に先発。順風満帆な軌跡を刻んできた過程で、歴史に自身の名を残す、千載一遇のチャンスに遭遇する。

 4月21日に敵地・等々力陸上競技場で行われた川崎フロンターレとの第8節。この試合で先制点をあげた選手が、記念すべきJ1通算20,000ゴーラーとなる可能性が極めて高かった。

 迎えた前半14分。相手のパスをインターセプトした鎌田が右サイドに開いたFW鄭大世へボールを預け、ニアサイドへ猛然とダッシュしていく。そして、鄭から絶妙のグランダーのクロスが送られてくる。

 ボールはスライディングした鎌田が伸ばした足の、ほんの数センチ先を通り過ぎていく。もっとも、鎌田に引きつけられてしまったのか。ファーサイドに詰めていた金子には、誰もマークがついていなかった。

「もう本当にもうちょっとでしたね。でも、僕がボールに触らなかったことによって金子のゴールが生まれたので。いまはガンバ戦でゴールできたので、よしとします。もっとも、フロンターレ戦のときはもっていないというか、僕らしいなとさすがに思いましたけどね。

 今シーズンはちょっと出させてもらっていますけど、レギュラーに定着したとは思っていない。毎日が競争だと思っているし、常にその意識だけは忘れずにこれからもやっていかないと。僕自身、少しずつですけどよくなっているので、上位に食い込めるように、チームの力になれるように頑張りたい」

 おそらくは昨年の大けがも、ヒーローになりそこねた4月のフロンターレ戦も、もっとさかのぼればファジアーノでプレーした2014シーズンも、すべて曹監督はチェックしていたはずだ。

 セレッソのトップ下として新たな可能性を開花させた山村和也と、開幕前のキャンプで山村の潜在能力を見抜いたユン・ジョンファン新監督の関係に象徴されるように、サッカー人生はひとつの出会いによって大きく変わることが少なくない。

 曹監督と出会ってから実に13年目。そして、サイドバック転向から10年。所属チームは違っても当時からまったく変わらない、海よりも深い愛情を『LINE』の短いメッセージ越しに感じながら、28歳になった鎌田は通算4つの目のチームとなるエスパルスで充実したシーズンを送っていく。

(取材・文:藤江直人)

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