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桜庭和志は、プロレスファンの光だ。アジア初のUFC殿堂入りが誇らしい。

7/15(土) 8:01配信

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 アメリカ現地時間の7月6日、ネバダ州ラスベガスのパークシアターにて開催されたUFC殿堂入り式典。桜庭和志は、羽織袴にオレンジの覆面(サクマシーン)姿という、やや奇怪な出で立ちで登壇。シャイな英雄はマスクを脱ぐと照れ笑いを浮かべながら、受賞のスピーチに立った。

 ジョークを交えながら話すその姿は、どこか羽織袴にちょんまげカツラ姿でカンヌ映画祭のレッドカーペットに登場する北野武監督を彷彿とさせた。

 日本以上に欧州を中心とした海外で高い評価を得ている“世界のキタノ”。それと同じように、“SAKURABA”の名声は、今や日本以上に海外で高まり、ファン、選手、関係者から大きな尊敬を集めているのだ。

 UFC出場経験わずか1試合にもかかわらず、日本人(アジア人)初のUFC殿堂入りを果たしたのは、それを象徴するものと言えるだろう。

あの時、プロレスは桜庭によって救われたのだ。

 日本では、ここ10数年でプロレスと格闘技の棲み分けが急速に進んだため、もしかしたら今のプロレスファンの中には、桜庭のUFC殿堂入りを別世界の話のように感じている人もいるかもしれない。

 しかし、1997年12月に『UFC JAPAN』で黒帯柔術家マーカス・コナンを破って以降の桜庭の活躍ぶりは、日本のプロレスファンにこそ讃えてもらいたい、そして誇りに思ってもらいたい。あの時、プロレスは桜庭によって救われたのだ。

 '90年代後半、日本のプロレス界は深刻な危機を迎えていた。

 闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)や、全日本四天王(三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明)らの活躍で、新日本プロレスや全日本プロレスの会場には、多くのファンが詰めかけていたが、その一方で、当時はまだ存在した「プロレス最強神話」が、急速に色褪せはじめていた。

「プロレスラーが最強」の幻想が破壊され……。

 それまでのプロレス界は、柔道家やキックボクサーをプロレスのリングに上げ、異種格闘技戦で下すことで、他競技に対する優位性を示していた。しかし、'93年に“黒船”と呼ばれたグレイシー一族の登場以降、なんでもありのバーリトゥード(現在のMMA)という舞台が生まれると、その優位性は一気に崩れ去る。

 '94年12月に、UWFインターナショナルの“裏・実力ナンバーワン”と言われた安生洋二が、ヒクソン・グレイシーに道場破りを仕掛けるも無残な返り討ちにあったのを皮切りに、前田日明の一番弟子であったリングスの山本宜久、喧嘩最強と呼ばれたケンドー・ナガサキなどが、次々とバーリトゥードで撃沈。

 それまで、世間からプロレスが八百長視されても「本気になったらプロレスラーは強い」、「ルール制限がない闘いではプロレスラーが最強」という思い込みが、プロレスファンにとっては、心の拠り所となっていた。しかし、この拠り所は徐々になくなっていき、'97年10月11日の『PRIDE.1』で高田延彦までもがヒクソンに敗れると、プロレスラーの強さを信じられなくなっていった。

 当時のプロレスファンは、一種のアイデンティティクライシスに陥っていたのだ。

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最終更新:7/15(土) 8:01
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