ここから本文です

腕をなくして人生が激変、パラテコンドーのパイオニアとしての決意

7/16(日) 12:12配信

Wedge

 2020年東京パラリンピックで初めて正式競技に採用されるパラテコンドー。2009年に初めて世界選手権が開催されたという新しい競技で、国内でも東京大会における競技採用をきっかけに、本格的な普及と選手育成が始まった。

 東京パラリンピックの採用種目は上肢障がいの選手によるキョルギ(組手)で、障がい別に4クラス、体重別に3階級に分かれて行われる。パラテコンドーではパンチ(突き)はポイントにならず、有効ポイントは蹴りによる胴への打撃で、頭部への攻撃も禁止されている。それだけに足技の多彩さが際立った競技だと言えそうだ。

 今回は、パラテコンドーとの出合いによって劇的に人生が変わったアスリートをご紹介したい。

やんちゃな子ども時代、色々なスポーツを経験

 伊藤力、1985年宮城県仙台市生まれ。

 兄弟は双子の兄と6歳下に弟がいる。小学生の頃から身体を動かすことが大好きで、一つのことに意識が向くとまったく周囲が見えなくなるような性格だった。放課後の掃除の時間に雑巾がけで競争すれば、夢中になって水飲み場に突っ込んで頭から血を流したり、目の前に障害物があるのに気づかず、積まれたタイヤから飛び降りて怪我をしたこともある。

 「遊んでいるときばかりですが、夢中になるとそれしか見えなくなってしまうんです。ガラスを割ったり、骨折したり、とにかく怪我の多い小学生時代でした。そんな子でしたが、あまり束縛されることもなく、おおらかに育ててもらったと思っています。小さい頃から向こう見ずな性格は今でも変わっていません」

 小学生の頃は漫画スラムダンクが流行っていたこともあり、バスケットボールをやりたいと思っていたが、兄弟同じスポーツで、という親の方針により、本人曰く、しぶしぶサッカーを始めた。

 中学では、なんとなく面白そうだったから、と剣道部に入部。大事な3年時の大会で、顧問に反抗し団体戦から外されたことがある。顧問が相手でも納得がいかないものはいかない。そんな気持ちがぶつかる原因だったようだ。

 色々なスポーツに挑戦したかったため、高校ではテニス部に所属。そして卒業後は専門学校に通いながら、「また、サッカーがやりたい」と地域のフットサルチームを探した。

 専門学校を卒業した伊藤は5年ほどハウスメーカーに勤めるが、この間、忙しい営業職のためフットサルを断念せざるを得なかった。

 そして転職、人生の転機を迎える。

1/4ページ

最終更新:7/16(日) 12:12
Wedge

記事提供社からのご案内(外部サイト)

月刊Wedge

株式会社ウェッジ

2017年10月号
9月20日発売

定価500円(税込)

■特集  がん治療の落とし穴 「見える化」で質の向上を
・玉石混交のがん治療
・質を競い合う米国の病院
・効果不明瞭のまま際限なく提供される「免疫療法」の〝害〟