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「サークル内交際⇒卒業後結婚」は“神”扱い。80年代テニサー論

7/16(日) 15:50配信

週刊SPA!

 まだ、大学生の間ではそこそこ安定した人気をキープしつづけている「テニサー」だが、80年代初頭あたりの「テニスサークル」は、今とは比べものにならないほど熱く、まさに「猫も杓子も状態」の大ブームであった。

 テニスサークルとは、読んで字のごとく「テニスに興じるサークル」のことである。「体育会」ではなく「同好会」ゆえ、「あまりテニスを一所懸命やりすぎない」のが暗黙の了解とされていた。ちなみにあのころは「テニス同好会」と呼ばれることのほうが多く、「テニサー」なる略称もなかった。

「大学公認で、入会できるのは学内生のみ。しかもテニスの腕前は体育会クラス」という硬派めなサークルから、「インカレ(=どこの大学に通っているかを不問とすること)を謳いつつほかの女子大・短大から積極的にメンバーを集い、主な活動内容は飲み会。テニスは月に一度ほどたしなむだけ」というド軟派なサークルまで「テニス:遊び」の比率こそさまざまだったが、「遊び」が「ゼロ」になることだけは絶対にあり得なかった。開き直って「オールシーズンスポーツ」(野球、サッカー、ラグビー、陸上競技、格闘技とかは「オール」に含まれなかった)などと、あえてメイン種目を曖昧に濁すサークルが出はじめたのも、ちょうどこのころだった。

 すでに「バブルへの予兆」が肌感としてひしひしと伝わってくる、しかも日本中が「終身雇用」を微塵とも疑っていなかった時代である。ほとんどの大学生にとって、過酷な受験戦争をかいくぐって勝ち得た4年間は、「それなりの企業に入社して一生働き続ける」までのつかの間の休息期間だったのだ。おそらく「戦後史上、もっとも学業をおろそかにしていた世代」なのではなかろうか。

 そんな安穏としたモラトリアムを、泥臭くないかたちでフワッと埋めてくれたのがテニスサークルだった。

 一説によると、当時は有象無象をあわせれば、一大学に軽く200や300ものサークルがあったらしい。まるで「CIA」や「KGB」のごとくつっけんどんなアルファベッド羅列系や、「テニス友の会」的な直球&親近感系、「くりにゃんく~る」みたいなペンション系、「湘南庭球會」風な暴走族系まで。入学式には百花繚乱のサークル名が掲載されたビラが門前で巻かれ、それを手にした中学、高校と脇目もふらずガリ勉あるいは部活に勤しんできたウブな新入生たちは、洒落た洋服を買い、髪を伸ばして心機一転を図り、各々の個性と希望遊び比率にフィットするサークルの門を夢見がちに叩いていた。

 男子の目的はもちろん、スコート姿でピチピチの太ももをさらけ出しながら、コート内を飛び跳ねる女子大生。一方の女子側も「いろんなデートスポットにクルマで連れていってくれる爽やかな先輩」狙いだったのはいうまでもない。もちろん、昨今のテニサーではよく見かけるTシャツ・スエットなんてコーデは論外! 男女ともがお揃いのサークルジャンパーをアウターに、単なる練習のときですら「タッキーニ」や「エレッセ」や「フィラ」といった人気ブランドのマークが胸についたテニスウェアでフル武装していた。本来は“副産物”でしかないはずの、まるでテニスシーン抜きの『エースをねらえ』のようにプラトニックでスクエアな「サークル内恋愛」へと、学生生活大半の熱量を脳天気に注いでいたのだ(ヤルことはきちんとヤッていたんだが)。

 強引な理由づけで頻繁に開催されるパーティに、夏のテニス合宿&たまにサーフィン、冬はスキーほか諸々、イベントも盛りだくさん。そこで誕生したカップルはサークル内で羨望の眼差しをほしいままとし、卒業後に結婚まで至った日には「神」扱い。そして、誰もがそのささやかなゴールを目指し、資金繰りのために授業をサボってバイト三昧の日々を過ごしていた。「学生の本分」を問われてしまえば元も子もないが、そんなつかみどころのない「広く浅く」のグローバリズムを信条とするテニスサークルにのめり込み、とりとめのない充実に忙殺されていたのが、バブル前夜に生きた大学生のスタンダードであった。

 ただ、就活で「テニスサークル所属」という経歴がなんの役にも立たなかったのは、いくら好景気とはいえ、昔も同様だった気がする(笑)。

文/山田ゴメス

日刊SPA!

最終更新:7/16(日) 15:50
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